ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

汗をかいて恥をかいて、俺は文章をかく

 

たくさんの恥をかかないと良い作品を生み出せない。

 

小学生の時に初めて自分で小説っぽいものを書いたら、親に褒められた。それが嬉しくて、さらに小説っぽいものを書き続けた。書いたものは家族に見せるだけでは足りなくて、学校に持っていき、クラスの人たちや先生に読ませたりした。

 

高校生になってからは同人誌即売会で自分の本を売るようになり、コミケにも参加もした。自分はいつか物書きとして世の中に名を残したいと思った。

 

だけど、今、自分が書いたものを読み返して見ると、恥ずかしさでいたたまれなくなる。書いた時は「俺って凄いな…」と自分の感性に惚れ惚れしていたのだが、数年経って読み返すと

 

「こんな恥ずかしいものを世の中に出してしまったのか。こんな恥ずかしいもので『俺って凄いな…ふふふ』とか悦に浸ってたのか。死にたい、殺せ、誰か俺を殺してくれ!」

 

ってなる。

 

これが黒歴史

 

このブログだって、過去の自分の記事を見て、恥ずかしさで死にたくなる。こんな恥ずかしい文章を公開して後悔している。だからといって消さないけど。

 

黒歴史を常に更新し続けて、たくさんの恥をかいている。それなのに俺はいつまで経っても世に名を残せていない。

 

それは何故か。

 

才能がないからか?

 

いや、違う。

 

継続をしないからだ。

 

継続し続けていけば、痛々しい文章はやがてブラッシュアップされて、輝かしい文章になっていく。

 

小学生の頃から文章を書いている俺がいつまでも、文章で身を立てられないのは、継続していないからなのだ。

 

継続さえしていれば、今頃は物書きとして大成して、100万円をばら撒いたり、ファッションモデルと付き合ったり、月に行ったりしているはずなのだ。

 

だから、今年はブログを毎日シコシコと書き続けて、文章力を鍛えたいと思っている。

 

汗をかいて、文章をかいて、そして、恥をかくのだ。量はやがて質へと転換される。

 

いつも、再開しては止めを繰り返していた。何故なら、文章を書くことはとても疲れるからだ。1つの記事を書くのに1時間はかかる。パソコンの前で、またはスマホの前で、文章をひたすらシコシコと打ち続ける。投稿した後にドッと疲れる。疲れるから、たぶん続かないのだろう。

 

だが、Twitterは毎日やっている。スマホを持つと体が勝手にTwitterアプリを起動している。そして気がつくと1時間も2時間もずっとタイムラインを更新し続けている。まとまった文章は1時間書くと疲弊してしまうのに、細切れの140文字の文章はいくつも作っている。

 

だから今年の目標はブログを毎日のように更新していこうと思う。宣言しよう。Twitter廃人から脱却し、俺はブログで文章を書く練習をし、物書きとして名を挙げるのだ。

 

ところで、昨日のブログ記事の文字数は約2300文字だった。空白も入れた文字数だから少しすくなくはなるけれど、400字詰め原稿用紙にして、5枚程度。

 

そして、Twitterの投稿文字数は140文字。2300文字にするには、文字数ギリギリのツイート約16回分になる。これくらい毎日ツイートを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…してないな。毎日そんな大量のツイートはしてないな。そこまでのツイ廃じゃないな。

 

そして今日もTwitterを開く。

 

 

ちんちん。

 

おちんちん。

 

おちんちん、びろーん。

 

おちんちん、Be Long…

 

 

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