汗をかいて恥をかいて、俺は文章をかく
すごくこわいことを言うんですが「上手くなってから出す(本を出す・投稿する・持ち込みする等々)」と心に決めたところで「上手くなった!」と自分が満足する段階まで行けることってほぼないです
— シギサワカヤ@「魔法少女は死亡する」発売中 (@ktos_tw) 2019年1月3日
みっともねえ~~~~!と思いながらその時の全力で「これが!限界ぃ!」って出す事をおすすめします…
たくさんの恥をかかないと良い作品を生み出せない。
小学生の時に初めて自分で小説っぽいものを書いたら、親に褒められた。それが嬉しくて、さらに小説っぽいものを書き続けた。書いたものは家族に見せるだけでは足りなくて、学校に持っていき、クラスの人たちや先生に読ませたりした。
高校生になってからは同人誌即売会で自分の本を売るようになり、コミケにも参加もした。自分はいつか物書きとして世の中に名を残したいと思った。
だけど、今、自分が書いたものを読み返して見ると、恥ずかしさでいたたまれなくなる。書いた時は「俺って凄いな…」と自分の感性に惚れ惚れしていたのだが、数年経って読み返すと
「こんな恥ずかしいものを世の中に出してしまったのか。こんな恥ずかしいもので『俺って凄いな…ふふふ』とか悦に浸ってたのか。死にたい、殺せ、誰か俺を殺してくれ!」
ってなる。
これが黒歴史。
このブログだって、過去の自分の記事を見て、恥ずかしさで死にたくなる。こんな恥ずかしい文章を公開して後悔している。だからといって消さないけど。
黒歴史を常に更新し続けて、たくさんの恥をかいている。それなのに俺はいつまで経っても世に名を残せていない。
それは何故か。
才能がないからか?
いや、違う。
継続をしないからだ。
継続し続けていけば、痛々しい文章はやがてブラッシュアップされて、輝かしい文章になっていく。
小学生の頃から文章を書いている俺がいつまでも、文章で身を立てられないのは、継続していないからなのだ。
継続さえしていれば、今頃は物書きとして大成して、100万円をばら撒いたり、ファッションモデルと付き合ったり、月に行ったりしているはずなのだ。
だから、今年はブログを毎日シコシコと書き続けて、文章力を鍛えたいと思っている。
汗をかいて、文章をかいて、そして、恥をかくのだ。量はやがて質へと転換される。
いつも、再開しては止めを繰り返していた。何故なら、文章を書くことはとても疲れるからだ。1つの記事を書くのに1時間はかかる。パソコンの前で、またはスマホの前で、文章をひたすらシコシコと打ち続ける。投稿した後にドッと疲れる。疲れるから、たぶん続かないのだろう。
だが、Twitterは毎日やっている。スマホを持つと体が勝手にTwitterアプリを起動している。そして気がつくと1時間も2時間もずっとタイムラインを更新し続けている。まとまった文章は1時間書くと疲弊してしまうのに、細切れの140文字の文章はいくつも作っている。
だから今年の目標はブログを毎日のように更新していこうと思う。宣言しよう。Twitter廃人から脱却し、俺はブログで文章を書く練習をし、物書きとして名を挙げるのだ。
ところで、昨日のブログ記事の文字数は約2300文字だった。空白も入れた文字数だから少しすくなくはなるけれど、400字詰め原稿用紙にして、5枚程度。
そして、Twitterの投稿文字数は140文字。2300文字にするには、文字数ギリギリのツイート約16回分になる。これくらい毎日ツイートを
…してないな。毎日そんな大量のツイートはしてないな。そこまでのツイ廃じゃないな。
そして今日もTwitterを開く。
冬の寒い日に使いたい名古屋弁です pic.twitter.com/I6cxcNS6Xi
— 安藤正基@⑤巻発売中 (@aichidoughnut) 2019年1月4日
ちんちん。
おちんちん。
おちんちん、びろーん。
おちんちん、Be Long…