ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

久しぶりのランニングをして…

2018年だからね。「今年は好きなことを好きなだけやる」という1年にすると決めたんだ。

 

そこで今までやっていなかった「朝ランニング」を、再開してみようと思い、久しぶりにウインドブレーカーをクローゼットやら押し入れやらを探し回った。これに1時間近く費やして、午前中にランニングするつもりが気づくと午後になっていた。久しぶりに出すから、今まで意識をしていなかったとはいえ、どんだけ整理整頓ができていないんだ、俺。

 

ランニングをするときに使用しているNIKEのランニングアプリを起動させ、ランニングすること20分。

 

久しぶりのランニングに加えて、ずっと運動をしてこなかったこと、年末年始にグダグダな生活を送っていたことが重なり、体が重たい重たい。以前なら、10分走ったあたりから体が慣れて少し軽くなってくるのだが、今日については終始、体の重さと対峙していなくてはいけなかった。

 

しかし、途中で歩いてしまうこともせず、なんとか20分走り続けることができた。

 

いえあ。

 

それにしても、走った後の爽快感がパねぇ。たかが20分しか走っていないのに。色んな本やらネットやらの情報を漁ったのだけれど、脂肪燃焼とか体力向上とかの効果が出てくるのは30分以上のランニングだそうだ。

 

30分以上走ることで運動効果が出てるらしいのだが、今回はそれよりも10分少ない20分のランニング。運動効果は無かったのか???

 

っていうことをゴチャゴチャ考えていたけれど、そんなことはどうだっていいではないかという結論に至る。科学的には30分以上のランニングが運動効果があるのかもしれないし、それよりも少ないと意味がないのかもしれない。

 

でも、そんなことは別にどうでもいい。科学的がどうであれ、俺は20分走って「爽快感がパねぇ」って思っているんだから。いいんだよ、それで。科学的にとかじゃなくて、俺的には運動効果があったんだから。

 

ってことで、今日のランニング

 

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20分走ってから、達成感パねぇとか感じながらしばらく外を歩いていた。

 

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アクティビティを見たら、前回のランニングは5月の連休だった。実に8ヶ月ぶりのランニング。

 

でも、ランニングした後は1日気分がいい。頭もスッキリした感じがする。

 

これまで「忙しい」とか「気持ちに余裕がない」とか言い訳にしていたけれど、こういう爽快感が日常にないから気持ち的に余裕がないと感じているのかもしれない。

 

明日もまた、ランニングしよう。もうすぐ休みも終わりだから、それまでに習慣にしてしまおう。

 

2018年、好きなことの1つとして「朝ランニング」をやってやろう。

 

 

金哲彦のランニング・メソッド

金哲彦のランニング・メソッド

 

 

来年は「目標を立てない」っていうことを目標にする!!

目標を立てることは楽しい。

 

目標を立てていると、達成した後のことを考えてワクワクする。

 

理想の自分になった時を想像して、「よし、やるぞ!」とやる気になる。

 

今度こそ頑張ろう、って思う。

 

だけど、結局、その後はだいたいグダグダになる。

 

目標を立てることって、宝くじを購入した後に似ている。

 

宝くじを購入した後は、もう当たった気でいるから、当たったら何を買おうかと考えてワクワクしながら毎日を過ごすようになる。そして、当選結果を見て、紙切れと化したそれをクシャッってして「あぁ、残念だったね」って言う。

 

それから「宝くじ買うお金をもっと別のことに使えばよかったな」と少し後悔してしまう。

 

目標を立てることも同じだと思っていて、目標を立てている時はワクワクするんだけど、いざそれを達成しようと計画しても計画通りに進まない。そして時間はあっという間に過ぎていき、何も達成することはできず「あぁ、残念だったね」って言う。

 

それから「目標立てたのに達成できない自分はダメな奴だな」と自己嫌悪感に襲われる。

 

きっと、他の人は立てた目標をしっかりとこなすことができる勤勉さをもっているのだけれど、俺には難しい。目標を立てて、それを達成するために日々何をしなければいけないのかを考えるのだけれど、計画通りにいった試しがない。

 

だから、そろそろ学習しようと思う。目標は立てない。目標を立てることは時間のムダなだけでなく、自分で自分を追い詰めてしまう種にもなりかねない。

 

よく「今年の抱負は?」的なことを聞かれるけれど、あれも、もう止めよう。もし、聞かれたら「自分の好きなことを好きなだけやる。誰かに迷惑をかけない範囲でね」と適当に答えることにする。

 

あと、今年の振り返りみたいなのも好きじゃ無い。振り返ると、絶対に「やろうと思ったけれど出来なかったこと」がたくさん出てくる。苦しい。このまま、それを「来年こそはやろうと思う」で引きずって、来年の今頃にはまた「やろうと思ったけど出来なかったこと」になっているに違いない。

 

「昨年はどんな1年でしたか?」

「どんな1年にしようか考えているうちに1年が終わっていました。頑張れませんでした」

「それでは、今年の抱負は?」

「好きなことを好きなだけやりたいです。人に迷惑をかけない範囲で」

「目標とかは無いんですか?」

「どうせ立てても達成できなくて自分を苦しめるだけなので、目標なんか立てません。『〇〇するぞ!』じゃなくて『〇〇したい!』を大事に生きていきます」

 

そう言ってやろう。

 

来年は好きなことを好きなだけやろう。

 

好きなことをやるためには何をすればいいのだろうか。

 

何を達成できたら、好きなことができるようになるのだろうか。

 

いや、何を持ってして『好きなことが出来た』と言えるのだろうか。その指標は曖昧では無いか。毎日のスケジュールを立てるか。好きなことをしている自分のスケジュールを立ててそれに沿って生きるように頑張ってみようか…

 

「って、あれ???」

 

いつの間にか目標を立てようとしている自分がいる。

 

目標を立てないようにするって難しい。

 

 

今年、始めたタバコについて…

2017年、俺は喫煙者になった。

 

ストレスがうんぬんかんぬんで、俺は喫煙者になった。

 

でも、やっぱり煙草を吸った後は、口臭や指がヤニ臭くなり、服にも煙草の臭いがついしまい不快になる。歯もヤニで汚れてきているのが分かるほどになっていった。

 

やっぱり、煙草なんか吸うものじゃないと一時期、禁煙者に戻ろうとしたけれど、やっぱり吸わないとやっていけない。気がついたら喫煙者に戻っていた。

 

今の環境を変えたら煙草を吸わなくてすむのだろうか。それまではヤニで自分を汚し続けるのか。

 

と、思ったら、もう一つの方法があった。

 

加熱式タバコである。

 

そこで、クリスマスイヴに、自分へのクリスマスプレゼントとして買ってしまった

 

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gloである。

 

吸っていたタバコがKENTで、それを販売しているブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパンがつくった加熱式タバコということで吸ってみたいと思った。

 

iQOSという選択肢もあったんだろうけど、iQOSはみんな持ってるし。それに、gloを吸っている人を見たとき、純粋にカッコイイって思ったというのもある。

 

コンビニではどこでも売り切れているので、表参道にあるgloショップで購入予約した。ネットで購入日時をしていし、その時間にgloショップへ行くというものだ。

 

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クリスマスイヴの表参道、イルミネーションが綺麗だったけれど、それに負けないくらい人が多いこと多いこと。

 

しかも、ほとんどがカップル。もう、この日はカップルでしか外を歩いちゃいけないのかというくらい、カップルだらけ。

 

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で、実際に吸ってみたけれど、なんか口中にポップコーンっぽい焦げが広がっていく感じ。火をつけて吸う紙巻きタバコとは違うよね。

 

でも、吸った後の感じは紙巻きタバコと同じ感じ。なんだろうね、この感じ。

 

加熱式タバコを吸い始めて1週間経って、たまに紙巻きタバコも吸って比較しているんだけど、吸った後の感じが同じ感じになるのなら、ヤニを吸わない加熱式タバコの方がいいのかなと思った。

 

でも、たぶん、1ヶ月くらいしたら飽きるんだろうな。それとともに脱タバコしているのかもしれない。

 

あ、ちなみに、購入したgloだけど、せっかくだからとgloショップでしか購入できないブラックを選んだ。値段は約5000円。

 

それで今、Amazonで調べたら、ブラックのgloって3万円とかで売っているのを発見した。6倍。すごいな。持って出かける時はくれぐれも盗難に遭わないように気をつけよう。この感じは、たまごっちがレアだった頃に、盗まれないように肌身離さずたまごっちを持ち歩いていたのと同じ感覚だな。たまごっち、懐かしい…

来年こそは、、、で始まる久しぶりのブログ

年末になると、いつも「来年こそは」がやってくる。

来年こそは運動を習慣化するぞ、とか。

来年こそは休日でも早起きするぞ、とか。

来年こそは1ヶ月に10冊以上の本を読むぞ、とか。

 

 「来年こそは、ブログを毎日更新するぞ!」

 

最終更新が今年の8月。そして久しぶりのブログ更新が12月。どうやら夏休みや冬休みなどの長期休みになると「ブログを更新するぞ!」の気持ちが起こるらしい。

 

この前、pha著『人生にゆとりを生み出す 知の整理術』という本を読んだ。そこに書いてあったのは「良いインプットをするにはアウトプットを繰り返すことが大事」ということだった。アウトプットというのは、学んだことをノートにしこしこと書くことだけではなくて、こうしてブログにアップすることも含まれるというのだ。その日、学んだことや考えたことをアウトプットすることで自分の思考が整理されるだそう。

 

その中に「ブログは『他人に見られてもいい自分用の勉強ノート』だと思えばいい」という部分があった。ブログは独りよがりの日記と、書くことにエネルギーを要する書類の中間に位置するのだという。

 

なるほど、自分用の勉強ノートをつけるという意味でブログを利用すればいいのか。

 

ということなので、このブログをそういう目的でこれから使っていこうと思う。

 

…っていう話、前にもした気がするな。

 

 

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

 

 

 

やりたいことして朝を迎えたら、それは本当に幸せなことなのかな?

「やりたいことが多くて、眠るのが惜しいんです」

 

ってある人から言われた言葉がずっと頭にこびりついて離れない。

 

「やらなければならないこと」が多いのではなくて、「やりたいこと」が多いのだだ。

そのせいで眠るのが惜しい。羨ましい。

 

やることが多くて寝られない夜はあるけれど、やりたいことが多くて寝られない夜はない。

 

そもそも、俺にとって「やりたいこと」って何だ?

 

読みたいと思って読んでいない本を読むことか、観ようと思っていた映画か、アニメのいっき観か、動画編集か…

 

この「やりたいこと」を眠らずにやってみるのもありかもしれない。

 

「いやぁ、やることが多すぎてさ、昨日は寝ていないんだ」

 

っていうのと

 

「いやぁ、やりたいことやっていたら、朝になっていてさ」

 

っていうのとでは違う。

 

「いいな、やりたいことを寝食忘れて没頭できるとか、羨ましい」

 

と思われる。

 

しかし、その「やりたいこと」っていうのもイメージが違うよね。

 

「昨日、ゲームをしていたら朝になっていてさ」

 

っていうと、ちょっと幼稚な感じがする。

 

「昨日、読書していたら朝になっていてさ」

 

っていうと、ゲームよりは知的かな。

 

「昨日、動画制作をしていたら朝になっていたらさ」

 

っていうと、クリエイターっぽさを感じる。

 

もしくは「クリエイターな俺ってカッケーっしょ?」ってドヤ顔をキメたいだけか。

 

「昨日、カラオケをしていたら朝になっていてさ」

 

それは、パリピ。

 

「昨日、ボーッとしていたら朝になっていてさ」

 

っていうパターンだったら

 

「おいおい、病んでいるのか? 大丈夫か? 病院行ったら?」

 

って心配されるか。病気認定されるか。

 

それならば、

 

「昨日、人生について考えていたら朝になっていてさ」

 

と言えばいいのか。

 

いや、なんか中二病っぽいイタい奴だと思われて終わりか。

 

午後11時を過ぎたくらいから眠気がやってきて

 

「あぁ、今日もやりたいことができなかった」

 

と後悔しながら寝支度をする。

 

逆に、やりたいことをやっていたら眠くなくなるのかもしれない。

 

だから一度、眠らない日を決めて、好きなことに没頭することにしようとした。

 

しかし、結論から言うとムリだった。

 

やらねばならない、という切迫感がないから眠気はどんどんやってくる。

 

夜の眠気の前での「やりたいこと」は「別にやらなくてもいいこと」になってしまう。

 

そして、夜の眠気は「やらなくてはならない」に変身して「やりたいこと」を食い尽くす。

 

翌朝、食いつくされた「やりたいこと」は無惨な「やれなかったこと」に朽ちていて、心の中にプカプカと浮かんでいる。

 

やりたいことはいつまでもやれずにいる。

 

だけど、それは言い訳だろうか。

 

本当にやりたいことなら、時間とか関係なくやっているはずではないだろうか。

 

ならば、本当に「やりたいこと」ってなんだろうね。

 

それはもしかして、、、、

喫煙者なんだ、俺、喫煙者だからな。

前回の記事は5月。喫煙者になろうとした話で終わっている。

 

その時は、喫煙後の自分の口臭や、指に残るタバコの臭いが嫌で、「やっぱり自分は喫煙者にはなない」と誓った。


しかし、その後も喫煙は続けた。


どれくらい続いているのか。5月に100円ショップで購入したライターのオイルが切れる位だ。


5月の連休中に購入して、8月に切れた。その期間は3ヶ月。もう、立派な喫煙者である。

 

「え、あなた、タバコ吸うようになったの?!」

 

と言われ

 

「まぁ、ね。ちょっとストレスでタバコを吸うようになったんだよ。ふっ・・・」

 

ってニヒルに微笑むことに憧れて喫煙者になってみたけど

 

「はぁ?! あなた、それ、中学生みたいな理由だね!」

 

と笑われて終わる。

 

笑えばいい。

 

俺は喫煙者の仲間入りをしたのだ。

 

しかし、タバコを吸わないとイライラするとか、

 

「うわぁ、ニコチンが切れたよぉぉぉっ!!!」

 

とかいう禁断症状は起こらない。

 

忙しいと喫煙者だったこと自体を忘れてしまう。

 

本当のニコチン中毒者は、忙しかろうとなんだろうとタバコを欲するものなのでしょう?

 

だけど、まだ起こらない。

 

この先、何年か吸ったらそういう状態になるのかしらん。

 

だが、喫煙を始めた頃と今とでは大きく成長したところがある。

 

吸い始めた頃は1mmのタバコを吸っていたのだが、今では5mmのタバコを吸うようになった。

 

これは例えるならば、カシスオレンジしか飲めなかった人が日本酒を飲めるようになるのと同じことなのではないかと思っている。

 

日本酒飲めないけど。

 

あ、そういえば!

 

今日は、まだタバコを吸っていなかったな。

 

この記事を書き終えたらタバコを吸うことにしよう。

 

なにしろ、俺は喫煙者だからな。

 

喫煙者になったのだからな。

 

ここ最近のストレスで、タバコを嗜むようになった。

 

体に悪いって?

 

「仕方ないだろ、吸わないとやってらんないんだからさ・・・」

 

これ、言ってみたかったやつ。

 

「あー、タバコ辞めたいなー。

タバコなんて百害あって一利なしだよー。

あー、タバコ買う金でもっと有意義なことできるのになー。

あー、タバコ、辞めたい。

辞めたいなー」

 

っていうのも言ってみたいやつ。

 

「なぁ、ちょっとタバコ吸いにいかない?」

 

ってなって、喫煙所で秘密のトークを繰り広げるやつ。

 

これもやりたかったやつ。 

 

喫煙者の仲間入りをしてみようと思ったんだよ

「ストレスに耐えられなくてね、吸うようになったんだよ」

 

たばこを最近吸うようになった人たちが言う。

 

気がつくと俺の周りは喫煙者だらけになっていた。

 

みんな目を細めて、タバコに火をつける、煙を吐き出す。

 

ちょっとだけニヒルな顔になる。

 

「自分の寿命を自分で減らしているのは分かってる。だけど、やっぱり吸っちゃうんだよね・・・」

 

ストレスに耐えきれず、タバコと付き合うようになった人の哀愁。

 

ちょっとカッコイイ。

 

そして、気がつくと俺の周りは喫煙者だらけになっていた。

 

みんな美味しそうに煙を吐き出す。

 

なんだか自分だけ仲間はずれにされている気分になる。

 

「いいんだよ、吸わなくて。たばこなんか百害あって一利なしさ」

 

という言葉の裏に

 

「お前はストレスなんか感じない鈍感な人間だな。いいな、羨ましい限りだぜ」

 

という皮肉を感じる。

 

だから、俺もたばこを吸ってみることにした。

 

たばこを燻らせて

 

「いやぁ、ストレスに耐えられなくなってね。体に悪いのは分かってるよ。でも、ストレスに苦しむ毎日を送るくらいなら、早死にした方がマシだぜ」

 

ってニヒルな笑みを浮かべてやる。

 

ちょっとカッコイイ。

 

だけど、喫煙者になるのって予想以上に難しい。

 

まず、たばこの買い方を知らない。

 

コンビニにいくと、たくさんのたばこが並べられている。

 

レジの前に立ち尽くすと、店員が「どうぞ」と俺を催促する。

 

困った。

 

いったい、何がどう違うのか。

 

喫煙者は平然と

 

マイルドセブンのうんちゃらかんちゃらで」

 

みたいに、店員に告げるのだろう。

 

しかし、俺には全て同じに見える。

 

とりあえず、キラキラしたパッケージのやつを選ぶ。

 

たばこを買っている自分にとてつもない違和感を覚える。

 

年齢確認のボタンを押す手が少し震える。

 

酒を買うときは一切ないのに。

 

成人してから10年経っているというのに。

 

着火してタバコに火をつける。

 

きたきた、ここで目を細めて着火だ。

 

しかし、ニヒルな顔をしたものの、煙を吸った途端にむせる。

 

呼吸を落ち着かせて、再び、吸う。

 

むせる。

 

吸う。

 

むせる。

 

「あら、あなた、タバコを吸うようになったの?」

 

母に驚かれる。

 

ほら、きたきた。

 

ここでニヒルな顔。

 

吸う。

 

「いやぁ、ストレスに耐えられな・・・ゴフッゴフッ・・・てね。タバコを吸って気持ちを・・・ゴフッゴゴッッゴッフォフォ・・・紛らわせ・・・ブウォッホフッゴッフォッゴフォ」

 

むせる。

 

「あなた、止めときな、体に悪いんだから」

 

「だけど、タバコを吸わずには・・・ゴッッゴゴッゴッゴゴッッゴッフォッフフッフォ」

 

むせる。

 

ひたすらむせる。

 

ニヒルな顔どころか、目から涙が出てくる。

 

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たばこの先と吸い口が真っ黒。

 

体に悪そうなことしてる感満載である。

 

そして全て吸い終わった後、口の中に煙の味が残る。

 

手にも煙の臭いがついている。

 

これが、ヤニ臭ってやつか。

 

俺も喫煙者の仲間入りだな。

 

ちょっとニヒルな笑みを浮かべてみる。

 

だがしかし、とっても臭い。

 

自分の口臭に嫌悪するなんて滅多にないが、これは臭い。

 

ダメだ。

 

それに、歩くとフラフラする。

 

ヤニクラッシャーってやつか。

 

なんてことだ。

 

思い描いていたのとは違う。

 

止めよう。

 

俺は喫煙者にはなれない。

 

ネットでたばこについて調べてみる。

 

肺がんや口腔がんのリスクとか、歯が黄ばむとか、ニコチン中毒とか、リスクばっかり。

 

その中で

 

「スモーカーフェイス」

 

っていうのを初めて知ってビビった。

 

「喫煙者は禁煙者よりも老けて見えます。元に戻りません。たばこは見た目にも影響します」

 

スモーカーフェイス。

 

なんて恐ろしい。

 

そんなフェイスは嫌だ。

 

止めよう。

 

たばこを吸ったことがストレスになってしまった。

 

だから、止めよう。

 

俺は喫煙者にはなれない。

 

俺は喫煙者にはならない。