ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

空白を開けるのはダメだと思うから

今週は火曜日から毎日ブログを更新してきた。

 

行き帰りの電車の中だけでは間に合わず、家に帰ってからも続きの文章を更新していた。

 

その努力もあって、今週は月曜日以外ずっと更新できたのだから、自分で自分で褒めてやりたい。

 

だがしかし、そんなガツガツとブログの更新ばかりを考えていたせいで、それ以外のことが疎かになってしまっている。

 

例えば、今年は読書を習慣化させようとしており、帰宅後は1〜2時間程度の読書時間をつくってみようと思ったのだ。しかし、ブログを更新することころには疲れ果て、何もできない状態になっているので読書はできていない。

 

そこまで自分の時間をブログにかける必要ってあるの?

 

だいたい1つの記事を書くのに1時間半前後かかる。これを行き帰りのスマホで更新し、帰宅したらパソコンでその作業の続きをやるみたいな生活を送っている。

 

いやいや、これだけ時間かかるのは最初だけで、やっていくうちに時間が短縮されていくものだから、続けることが大事!ということなのかもしれない。最初だけなのだ、と思うことで少し前向きに動けるような気がしてくる。

 

だけど、この「やっていくうちに体が慣れる」と言われるのには違和感がある。これ、逆の言い方をすれば「体が慣れるまでは地獄を味わってもらおうか」ということではないか。地獄をひたすら突き進めば、やがて「慣れ」という天国にたどり着くということなのか。では、実際、どれくらいやっていけば慣れていくのか。

 

ただ、1つ言えることがある。ここで空白をつくってしまったら、またしばらく空白だらけの日常を送ることになる。慣れる前に止めてしまう。地獄を抜ける前に、地獄の入り口に戻ってしまう。だから俺は、毎回ブログを再開するたびに地獄をぐるぐるしているような気持ちになるのだ。

 

ちなみに、このブログを更新しているのが2019年1月14日の1:18。しかし、投稿するのは昨日の日付にしようと思っている。1日の始まりは0時を過ぎてからではない。寝て起きてから1日が始まるのだ。だから、いくら0時を過ぎようが、まだ寝ていないので日付は13日なのだ。

 

そのブログを眠い目を擦りながらキーボードを叩いている。もしもここで寝落ちしたら、今、書いているこれは14日のブログになってしまうのだ。耐えろ、耐えるんだ。13日のブログとして投稿する為に。

 

ということで、今日も空白を開けずに更新をする。眠気に耐えながらの更新なので、誤字や脱字や支離滅裂な文章は許していただきたい。

 

この文章が夢の中で打ったものではいことを祈りながら、俺は左下にある「公開する」ボタンに手をかけようとしている。公開して後悔するんだ。

身体を動かせば、心も動くのか?

エンジニアになってから、仕事で体を動かすことが無くなった。まぁ、そういう仕事なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、授業中に飛んだり跳ねたり叫んだりしていた教員時代とのギャップはかなりのものだ。

 

そして、そのギャップに苦しんでいる。どんよりとしたものがずっと心にこびりついている感覚だ。


そこで、体を動かそうと、去年の夏から暗闇ボクササイズのb-monsterに通っている。45分間、筋トレしたり、シャドーしたり、サンドバッグを殴ったりとかなりストイックなので、終わった後は汗で服や下着がビッチャビチャのグッチャグチャになる。やたらと目に汗が流れてくるので、最近はヘアバンドをつけてトレーニングをしている。


週3日くらい通っていた甲斐もあり、体も少し絞れてきた。前までは脂肪の塊だった肉体も、少しは凹凸が出来てきた気がする。


身体を動かせば心も動いて、精神的に健康になれるだろうと思っていた。最初は動けず、自分の体力の無さを恨んだり責めたりするが、そのうち慣れて自分のことを好きになるだろうと。


しかし、意外とそうはならなかった。運動後のスッキリ感は次の日の朝くらいに無くなり、どんより感は拭えなかった。


そういえば、この頃では休日の過ごし方も変わった。以前は家にいると鬱になるからと、とにかく外出するようにしていたのだが、最近では家に閉じこもりがちになっていた。休日もb-monsterに行くのだけど、終わったらどこかに行くわけでもなく、そのまま家に帰る。


今の生活に何も不満はないはずだ。やりたい仕事に就けたし、身体も動かしている。それなのに、このどんよりとした気分はなのだろうか。


そんな中、去年の年末年始の休みで、久しぶりにロードバイクを引っ張り出して走ってみた。


ロードバイクを購入して7年。購入してから一度も変えてないパーツもあったりして、結構あちこちにガタがきている。ブラケットカバー(ハンドルのゴムの部分)は劣化してベトベトになってるし、ワイヤーのカバーはヒビ割れている。最近はギアを切り替えるレバーが不調で、ギアが切り替わらない問題が発生した。

 

これを全てメンテナンスしてもらうとなると、また結構な値段がかかるのだろうな。別にロードバイク乗らなくても困るわけじゃないし、お金に余裕ができてからショップに持っていこう。


でも、ロードバイクに乗れば、このどんよりとした気持ちが少し晴れるのではないかと考えた。無駄遣いではない。心がしっかりしていないと生きていくことはできない。そう、ある意味で自分の今後に影響を与えるのだ。ことは急がねばならない。


年末年始だったから、いつもお世話になっているショップがいつまで営業しているのか調べようとホームページをアクセスところ、衝撃の事実が。なんと、その店がすでに閉店していたのだ。しかも、半年以上も前に。

 

そこは初めてスポーツ自転車を買った場所。スポーツ自転車デビューしてから、色々と親切に教えてくれた。ここが無くなったら、もう自転車のことを聞く人がいなくなるくらいに思っていたのに、そのショップがまさかの閉店という。


それを朝の通勤時、電車の中で知り、あやうく叫んでしまうところだった。


大宮にもその店舗があるということなので、年明け最初の営業日に行ってみることにした。


ブラケットカバー、ギアのレバーの改修、ついでにバーテープとワイヤーの交換を依頼した。費用は15000円。しかし、純粋なパーツ代だけならば1万円いかない。なぜなのか?と思ったら、どうやらパーツごとにそれぞれ工賃がかかるらしい。今回はいじるパーツが多い為、その分の工賃も総合すると結構なお値段になる。

 

費用のうち半分近くは工賃だった。なるほど、こういうところで儲けているのか。まったく、良い仕事をしておる。点検は系列店での購入だったので、無料でしてもらえるということだった。


自転車を預け、電車で帰宅。休み中にロードバイクで正月に浮かれる街を暴走してやりたいな、と思っていたら、その日の夜にショップから電話がかかってきた。


「お預かり頂いた自転車、パーツ交換、STIレバー(ギアを変えるレバー)の改善、点検が全て終了しました。かなり乗り心地が快適になりましたよ」


乗り心地が快適に…


もの凄く主観的である。


翌日、ショップへ自転車を取りに行った。店員に改めて「メンテナンスの後、近くを走ってみたのですが、かなり乗り心地が快適になりましたよ」と言われた。それ、別に言わなくてもよくね?


店員にお礼を言い、ショップを後にした。ゴムが劣化してベトベトだったブラケットカバーは、手袋をしなくても触れるようになった。バーテープも、今まで黒だったものを白にしたのでファンシーさが増した。ギアのレバーもしっかり動いていて、快適だった。快適過ぎてしばらくカチャカチャとギアを上げたり下げたりしながら走っていた。

 


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大宮駅から隣のさいたま新都心駅へ移動。天気も良かったので、陽の光を浴びながらボーッとしていた。

 

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この場所から眺める空は格別だ。そういえば、俺が前職を辞めて、最初の平日に見た空もこれと同じくらい晴れていた。

 

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そして昼食にマックを食べる。カロリー的にプラマイゼロだ。むしろプラスか。


空をボーッと眺めながらハンバーガーを頬張る。そんな俺をチラ見しながら、家族連れやらカップルやらが通り過ぎる。


どんな風に思われようと構わない。幸せの形は人それぞれだ。俺は自転車漕いで、1人で空を見上げながらボーッとすることに幸せを感じるのだ。独りでリアルを充実させている、独リア充だ。


リア充をしていて、俺は気がついた。ただ身体を動かせば、心が健康になる訳ではないということを。心を健康にするには、太陽の光を浴びなくてはならなかったのだ。心の光合成が必要だということだ。

 

b-monsterは確かに身体を激しく動かすが、場所は室内だし暗い。昼行性の生物であるヒトは、陽の光を浴びなくては調子が狂ってしまうものなのかもしれない。


2時間くらいボーッとして、再び自転車に乗った。


店員に言われた通り、乗り心地が劇的に快適になっていた。ハンドル周りの改善だけかと思ったが、点検でネジを締めたりオイルを差したりしてもらったからか、とても運転が快適だ。


快適過ぎてこのまま帰るのは勿体無いと思った俺は、しばらく走ってみることにした。ペダリングが快適で、どんどん前に進む進む。疲れをほとんど感じない。


そして気がつくと、上尾駅に着いていた。

 

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さいたま新都心駅から上尾駅までの距離を調べてみたら、約10kmほどあることが分かった。しかし、あっという間に感じた。


そしてある程度楽しんだら、家に帰ることにした。もう、帰りはすっかり暗くなっていた。

 

夜の公道は横を追い抜いていく車が物凄い速く感じる。それに、道路の様子が暗くて見えづらいから、黒い影が、段差で出来ているものなのかどうか分からず、とてもスリリングな運転をした。

 

だから、走り慣れた道に来た時の安堵感は半端なかった。夜に慣れない道は走るものではないと感じた。いや、久しぶりのロードバイクで感覚が少し鈍っていただけかもしれない。そうだ、そうに違いない。決して俺が臆病になった訳ではない。

 

帰宅後は心がかなりリフレッシュしていた。やっぱり、室内に閉じこもってはいけない。室内の閉鎖的な空間よりも、開放的な外に出なくては。そして太陽の光を浴びるべきなのだ。

 

心の光合成、これ、大事。生きる為には心の光合成をしなくてはいけないことを学んだ週末だった。

 

教員を辞めてよくなかったこと…

エンジニアになってから、気持ちを引っ掻き回されることも、常に何かに追われるようなことも、生き苦しさを感じることが少なくなった。

 

以前にも書いたけれど、エンジニアの職場は、俺が思い描いていた通りだった。こんな仕事をしてみたい!という希望が100%とまではいかなくとも、かなり近い形で叶った。思い切って教員以外の世界に飛び込んでよかったと思っている。

 

しかし、である。業務の内容は予想通りだったのけれど、俺の心は手放しに喜べるほど素直ではなかった。

 

エンジニアになってから、人との関わり方が分からなくなってきた。毎日、パソコンとばかり対話をしているから、自分の心が機械になりかけている気がしてならない。

 

そんな感じだから、最近は人と話をした後、上手く会話が続けられなかったと自己嫌悪に陥ることが多くなった。

 

いや、もともと言葉のキャッチボールはできてはいなかったけれど、なんだか最近、余計にそれを感じるようになった。会話の絶対数が少ないからかもしれない。

 

今は家族と生活をしているから、一言も喋らない日は無いけれど、もしも一人暮らしだったらと思うと少しゾッとする。

 

教員は当たり前だけど毎日話さなくてはいけない。授業では相手に伝わるように言葉を選んで、大きな声を出さねばならない。

 

教員の頃にほとんど喋らない日があるとすれば、それはテスト採点日くらいのものだ。ずっと机に向かって、ひたすら採点をする。生徒は休みだから、生徒関連のトラブルや相談も発生しないので予定を引っ掻き回されず、自分のペースで仕事ができる。

 

しかし、俺はテスト採点日があまり好きではなかった。模範解答を見ながら丸つけて、電卓弾いて点数を出す。もの凄く地味な作業で、なかなか精神的に疲弊する。

 

今の仕事は、毎日がテスト採点日みたいな状態なのだ。

 

テスト採点日では、採点に疲れてくると、校内を回って部活や自習などで登校している生徒に絡み、気分をリフレッシュさせていた。しかし今はリフレッシュする相手がいない。

 

俺って実は引きこもれない性格なのだろうか。人間と関わることが実は好きなんじゃないだろうか。

 

いやいや、前職がガッツリ人間と関わる仕事だったからそのギャップに苦しんでいるだけかもしれない。もし、新卒でエンジニアとしてやっていたら、そんなことは思わなかったはずである。

 

でも、人間嫌いだと思っていた俺が9年間辞めずに教員やっていたのだから、やっぱり人間は嫌いではないのか。

 

人間との会話が無くなったこともそうだが、人前で喋ることが無くなったことでフラストレーションが溜まっている。

 

もともと教員を目指したのは「自分の好きなことが勉強できて、それを語れるから」というものだった。尊敬する親が教員だからとか、学生の頃に出会った恩師に憧れたとか、教育で日本を変えたいとか、そんな素敵なことではない。

 

ただ、自分の好きなことを喋って、その「好き」という気持ちを伝染させたいと思ったのだ。あとは「会社員」になりたくなかった、というのもある。だから今も「会社」とは言わず「職場」と言う。「出社」と言わず「出勤」と言う。それはこだわる。

 

人前で喋りたい。人前に立って、みんなの視線を受けながら自己主張したい。目立ちたがり屋だから、もう人から注目されたくて仕方がない。

 

そんな思いを叶える為に、今年はあることを始めてみようかと考えている。

 

でも言わない。言ったら、言っただけで満足してやらない気がするから。

汗をかいて恥をかいて、俺は文章をかく

 

たくさんの恥をかかないと良い作品を生み出せない。

 

小学生の時に初めて自分で小説っぽいものを書いたら、親に褒められた。それが嬉しくて、さらに小説っぽいものを書き続けた。書いたものは家族に見せるだけでは足りなくて、学校に持っていき、クラスの人たちや先生に読ませたりした。

 

高校生になってからは同人誌即売会で自分の本を売るようになり、コミケにも参加もした。自分はいつか物書きとして世の中に名を残したいと思った。

 

だけど、今、自分が書いたものを読み返して見ると、恥ずかしさでいたたまれなくなる。書いた時は「俺って凄いな…」と自分の感性に惚れ惚れしていたのだが、数年経って読み返すと

 

「こんな恥ずかしいものを世の中に出してしまったのか。こんな恥ずかしいもので『俺って凄いな…ふふふ』とか悦に浸ってたのか。死にたい、殺せ、誰か俺を殺してくれ!」

 

ってなる。

 

これが黒歴史

 

このブログだって、過去の自分の記事を見て、恥ずかしさで死にたくなる。こんな恥ずかしい文章を公開して後悔している。だからといって消さないけど。

 

黒歴史を常に更新し続けて、たくさんの恥をかいている。それなのに俺はいつまで経っても世に名を残せていない。

 

それは何故か。

 

才能がないからか?

 

いや、違う。

 

継続をしないからだ。

 

継続し続けていけば、痛々しい文章はやがてブラッシュアップされて、輝かしい文章になっていく。

 

小学生の頃から文章を書いている俺がいつまでも、文章で身を立てられないのは、継続していないからなのだ。

 

継続さえしていれば、今頃は物書きとして大成して、100万円をばら撒いたり、ファッションモデルと付き合ったり、月に行ったりしているはずなのだ。

 

だから、今年はブログを毎日シコシコと書き続けて、文章力を鍛えたいと思っている。

 

汗をかいて、文章をかいて、そして、恥をかくのだ。量はやがて質へと転換される。

 

いつも、再開しては止めを繰り返していた。何故なら、文章を書くことはとても疲れるからだ。1つの記事を書くのに1時間はかかる。パソコンの前で、またはスマホの前で、文章をひたすらシコシコと打ち続ける。投稿した後にドッと疲れる。疲れるから、たぶん続かないのだろう。

 

だが、Twitterは毎日やっている。スマホを持つと体が勝手にTwitterアプリを起動している。そして気がつくと1時間も2時間もずっとタイムラインを更新し続けている。まとまった文章は1時間書くと疲弊してしまうのに、細切れの140文字の文章はいくつも作っている。

 

だから今年の目標はブログを毎日のように更新していこうと思う。宣言しよう。Twitter廃人から脱却し、俺はブログで文章を書く練習をし、物書きとして名を挙げるのだ。

 

ところで、昨日のブログ記事の文字数は約2300文字だった。空白も入れた文字数だから少しすくなくはなるけれど、400字詰め原稿用紙にして、5枚程度。

 

そして、Twitterの投稿文字数は140文字。2300文字にするには、文字数ギリギリのツイート約16回分になる。これくらい毎日ツイートを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…してないな。毎日そんな大量のツイートはしてないな。そこまでのツイ廃じゃないな。

 

そして今日もTwitterを開く。

 

 

ちんちん。

 

おちんちん。

 

おちんちん、びろーん。

 

おちんちん、Be Long…

 

 

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

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定時と残業と俺

2018年は革新の1年だった。

 

だけど、別に前に進んだ訳ではないし、もしかしたら、迷走しているかもしれない。ただ、今までの自分とは別の自分になろうとしているのは確かだ。

 

去年の3月末に教員を辞め、4月のニート期間を経て、5月にエンジニアとして新しいキャリアを歩んでいる。

 

こういう、新しい世界へ飛び込んだ時は

 

「思ってたのと違った。なんかもっと◯◯だと思ったのに…」

 

みたいに多少なりとも、想像していたものと現実が違っていて、ガッカリするんだろうなと覚悟はしていた。

 

でも、ガッカリはするかもしれないけど、教員を辞めたことは後悔しないだろうと思っていた。

 

しかし、である。そのギャップが全くなかった。ずっと思い描いた通りの仕事だったし、思い描いていた通りの生活だった。

 

エンジニアになる前に思い描いていた生活と寸分の違いもない。1日、黙々とパソコンに向かってコードを書いたりテストしたりしている。

 

会話はほとんどない。日によっては「おはようございます」と「お疲れ様でした」以外の言葉を発さない日だってある。

 

席から動くこともほとんどない。トイレに行く時と、昼食を買いに行く時くらいだ。

 

俺が憧れていた仕事だった。この黙々と机に向かって作業している感じ。人に気を遣ったり、どうやって声をかけようかとか、言葉を色々選んだりとか、そんな面倒くさいことは無用。突然のトラブルが発生して臨機応変な対応が求められることもない。パソコンは金髪にしたり、喧嘩を始めたり、倒れたり、引きこもったりはしない。

 

さらに良いことが2つあった。1つは昼休みがちゃんと1時間あること。昼休みの時間になったら、仕事から離れて昼食をとったり、どこかへ出かけたり、人によっては仮眠をとるなんてこともしている。

 

これは教員時代には考えられないことだ。昼休みは45分あるけれど、その時間に次の授業の準備をしたり、生徒の面談をしたり、生徒から話しかけられたりで休む時間をもらえない。さらに、昼休みでも職員室に生徒が訪れるのだから、仮眠なんてとれるはずがない。

 

2つめのいいことは、残業という概念がしっかりと存在することだ。定時を過ぎたら残業として、料金が発生するのである。「そんなの当たり前じゃないか、どんだけブラックな企業に勤めてたんだよwww」と笑われるかもしれないけれど、教員は残業という概念がない。

 

教員を辞めてから、「残業?いや、生徒のことを思っていれば別に残業代とか、そんなお金なんかいらないし。それに自分が好きで残っている部分もあるから」というのが、世間とズレているのだと知った。

 

それはまだ転職したばかりで、残業という概念がなかった時の話。定時になったが、30分くらいパソコンのファイル整理をしたり、机の上を掃除したりしていた。その後でタイムカードを押したところ、上の人に詰め寄られた。

 

「お前、今、タイムカードを押したのか? 残業の指示も受けていないのに?」

 

「はい、今、押しました。定時過ぎたって言っても30分くらいだからいいかなと思って…」

 

「いや、残業は30分ごとに発生してるんだ。 今、定時過ぎにタイムカードを押したことによって、お前に30分の残業代が発生したんだぞ。残業代が発生したということはつまり、会社が本来受けるべき利益をお前が奪ったことになるんだ。分かってるのか!」

 

このお叱りを受けたとき、衝撃を受けた。定時を過ぎたら残業代が発生する世界が存在するなんて、と思った。叱られたことよりも、そっちの方がショックだった。

 

世間は定時と残業にうるさいことを知った俺は、数日後、残業の必要性の有無を確認し、必要ないと言われたのでタイムカードを定時で押した。その後で、残してしまった作業を片付けようとパソコンに向かっていたところ、またもや上の人が俺に詰め寄ってきた。

 

「お前、今、タイムカードを押したよな? それなのに、なんで仕事しようとしてるの?」

 

「ちょっと残ったものを片付けようと思って。あ、タイムカードは定時で押したので残業代は発生しません。残るのは自分が勝手にやっていることですから問題ありません」

 

「いやいやいやいや、そういう問題じゃなんだよ! お前が残業代もらうとかもらわないとかの話じゃない。もし、然るべき場所の人がお前のタイムカードを見て『なぜ、定時でタイムカードを押しているのに仕事をさせていたのか?』という指摘してきたら、会社が困るんだ。お前がどう思っているかとかは関係ない。だからタイムカードを押したら、とっとと帰れ!」

 

きょとんとする俺。そこで素直に謝って帰ればよかったのに、「そんなことになったら『私が勝手に残ってました』と然るべき人に説明します」とか返してしまい、火に油を注ぐ形となった。あいたたたた…

 

定時と残業というのは、世間的にこんなにもナイーヴな扱われ方をするものだということを知った。これが働き方改革? いや、これが普通か。

 

俺は大学を卒業してから、ずっと教員の仕事をしてきた。だから教員以外の仕事を知らないし、教員以外の社会人の日常を知らない。

 

先生の常識は世間の非常識、と言われる。この「定時と残業」については、世間の非常識を常識だと思ってやっている感はあるなと思った。

 

お叱りを受けた今は、ちゃんと終業時間を意識するようになった。

 

「しまった、あと1分したら残業代が発生してしまう。早くタイムカードを押さないと!!」

 

慌ててタイムカードを切る。

 

非常識な俺が、世間の常識に馴染んでいっているような気がした。

平成31年1月7日

 

震えている。

 

そうか、もう、昭和生まれはおじさん&おばさんになるのか。

 

「俺は昭和生まれだけど、昭和の後ろの方の生まれだから昭和の記憶は全くない。だから、平成生まれみたいなもの」

 

って俺は必死になってたけど、これからはもう、本当に昭和ギリギリの昭和64年生まれでも「昭和生まれなの? おじさんじゃん…ププッ」ってなる時代になるのか。時代は回っている。

 

 

このツイートにもビックリ。

 

学生の頃、レンタルビデオ店でバイトしていた時に、仕事終わりの控え室で「ついに平成生まれのAV女優が出た!」という話題で盛り上がったのが懐かしい。

 

ちなみに、去年は2000年代生まれのAV女優が誕生した年でもある。話題になったミレニアムベイビーたちがAV女優になる年である。

 

その当時、某深夜番組(「今夜」的な名前の番組)でミレニアムベイビーをつくろうとしている夫婦たちを特集していて、レポーターがホテルの部屋の前で

 

「今、これらのホテルの部屋の中では、ミレニアムベイビーを誕生させようとする夫婦たちが子作りに励んでおります」

 

みたいなレポートをしていた。今考えると、凄い内容だったが、当時の俺はまだ子作りが何かを知らないウブな小学生だったから「いや、そんな話よりも、早く裸のお姉さんの映像見せろや!」って全裸で憤っていた。

 

いつかは平成生まれもおじさん&おばさんになるんだろうな。

 

考えてみたら昭和生まれは3つの元号を生きることになる。これは凄いことではないか。今だって、大正生まれという人を見たら「たくさんの時代を生きてきたんですね」と尊敬する。いつかは俺も尊敬される日が来るということだ。

 

しかも、大正生まれは20世紀しか生きていないのに対し、俺は20世紀と21世紀の2つの世紀を生きてるからな!

 

そうか、今年は2019年だから、21世紀生まれのAV女優が誕生するということか。

 

うひゃー!

 

…あ、言い忘れていましたが。2019年明けまして。その先は喪中なので控えさせて頂きます。明けまして、明けまして、どうも、明けまして。

 

昨年は色々とお世話になりました。本年もよろしくお願いします。

 

いやぁ、本当に、明けまして…

 

 

恋人とクリスマスを過ごしている人たちへ

聖なる夜をりっしんべんに生きると書いて「性なる夜」にしようとしている人たちへ。


今宵は互いのクリスマスプレゼントとして愛を送ろうとしているようですが、この国にもクリスマスプレゼントをあげようとは思いませんか?


もし、この国を愛しているのならば、日本を愛しているのならば、君たちにプレゼントをしてもらいたいものがあります。君たちにしか贈ることができないプレゼントです。


それは新しい命。そうです、新しい命をこの国の為にください。少子化で子供に飢えているこの国に新しい命を。


街にはサンタの格好をしている人がいたるところにいますが、彼らはただのコスプレイヤーです。本物のサンタではありません。


では、真のサンタは誰か。それは、今、恋人と手を繋いで街を歩いているあなたたちです。あなたたちこそが真のサンタクロースなのです。


さぁ、この国に新しい命を。そうすれば、今宵、あなたたちが行おうとしている淫靡な行為は、神聖な儀式へと変わることでしょう。この国に新たな命を。この国の未来に希望の光を。

 

そして神よ。現代に生きる、マリアとヨゼフたちに新しい命を与えたまえ。