ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

教員を辞めてよくなかったこと…

エンジニアになってから、気持ちを引っ掻き回されることも、常に何かに追われるようなことも、生き苦しさを感じることが少なくなった。

 

以前にも書いたけれど、エンジニアの職場は、俺が思い描いていた通りだった。こんな仕事をしてみたい!という希望が100%とまではいかなくとも、かなり近い形で叶った。思い切って教員以外の世界に飛び込んでよかったと思っている。

 

しかし、である。業務の内容は予想通りだったのけれど、俺の心は手放しに喜べるほど素直ではなかった。

 

エンジニアになってから、人との関わり方が分からなくなってきた。毎日、パソコンとばかり対話をしているから、自分の心が機械になりかけている気がしてならない。

 

そんな感じだから、最近は人と話をした後、上手く会話が続けられなかったと自己嫌悪に陥ることが多くなった。

 

いや、もともと言葉のキャッチボールはできてはいなかったけれど、なんだか最近、余計にそれを感じるようになった。会話の絶対数が少ないからかもしれない。

 

今は家族と生活をしているから、一言も喋らない日は無いけれど、もしも一人暮らしだったらと思うと少しゾッとする。

 

教員は当たり前だけど毎日話さなくてはいけない。授業では相手に伝わるように言葉を選んで、大きな声を出さねばならない。

 

教員の頃にほとんど喋らない日があるとすれば、それはテスト採点日くらいのものだ。ずっと机に向かって、ひたすら採点をする。生徒は休みだから、生徒関連のトラブルや相談も発生しないので予定を引っ掻き回されず、自分のペースで仕事ができる。

 

しかし、俺はテスト採点日があまり好きではなかった。模範解答を見ながら丸つけて、電卓弾いて点数を出す。もの凄く地味な作業で、なかなか精神的に疲弊する。

 

今の仕事は、毎日がテスト採点日みたいな状態なのだ。

 

テスト採点日では、採点に疲れてくると、校内を回って部活や自習などで登校している生徒に絡み、気分をリフレッシュさせていた。しかし今はリフレッシュする相手がいない。

 

俺って実は引きこもれない性格なのだろうか。人間と関わることが実は好きなんじゃないだろうか。

 

いやいや、前職がガッツリ人間と関わる仕事だったからそのギャップに苦しんでいるだけかもしれない。もし、新卒でエンジニアとしてやっていたら、そんなことは思わなかったはずである。

 

でも、人間嫌いだと思っていた俺が9年間辞めずに教員やっていたのだから、やっぱり人間は嫌いではないのか。

 

人間との会話が無くなったこともそうだが、人前で喋ることが無くなったことでフラストレーションが溜まっている。

 

もともと教員を目指したのは「自分の好きなことが勉強できて、それを語れるから」というものだった。尊敬する親が教員だからとか、学生の頃に出会った恩師に憧れたとか、教育で日本を変えたいとか、そんな素敵なことではない。

 

ただ、自分の好きなことを喋って、その「好き」という気持ちを伝染させたいと思ったのだ。あとは「会社員」になりたくなかった、というのもある。だから今も「会社」とは言わず「職場」と言う。「出社」と言わず「出勤」と言う。それはこだわる。

 

人前で喋りたい。人前に立って、みんなの視線を受けながら自己主張したい。目立ちたがり屋だから、もう人から注目されたくて仕方がない。

 

そんな思いを叶える為に、今年はあることを始めてみようかと考えている。

 

でも言わない。言ったら、言っただけで満足してやらない気がするから。

汗をかいて恥をかいて、俺は文章をかく

 

たくさんの恥をかかないと良い作品を生み出せない。

 

小学生の時に初めて自分で小説っぽいものを書いたら、親に褒められた。それが嬉しくて、さらに小説っぽいものを書き続けた。書いたものは家族に見せるだけでは足りなくて、学校に持っていき、クラスの人たちや先生に読ませたりした。

 

高校生になってからは同人誌即売会で自分の本を売るようになり、コミケにも参加もした。自分はいつか物書きとして世の中に名を残したいと思った。

 

だけど、今、自分が書いたものを読み返して見ると、恥ずかしさでいたたまれなくなる。書いた時は「俺って凄いな…」と自分の感性に惚れ惚れしていたのだが、数年経って読み返すと

 

「こんな恥ずかしいものを世の中に出してしまったのか。こんな恥ずかしいもので『俺って凄いな…ふふふ』とか悦に浸ってたのか。死にたい、殺せ、誰か俺を殺してくれ!」

 

ってなる。

 

これが黒歴史

 

このブログだって、過去の自分の記事を見て、恥ずかしさで死にたくなる。こんな恥ずかしい文章を公開して後悔している。だからといって消さないけど。

 

黒歴史を常に更新し続けて、たくさんの恥をかいている。それなのに俺はいつまで経っても世に名を残せていない。

 

それは何故か。

 

才能がないからか?

 

いや、違う。

 

継続をしないからだ。

 

継続し続けていけば、痛々しい文章はやがてブラッシュアップされて、輝かしい文章になっていく。

 

小学生の頃から文章を書いている俺がいつまでも、文章で身を立てられないのは、継続していないからなのだ。

 

継続さえしていれば、今頃は物書きとして大成して、100万円をばら撒いたり、ファッションモデルと付き合ったり、月に行ったりしているはずなのだ。

 

だから、今年はブログを毎日シコシコと書き続けて、文章力を鍛えたいと思っている。

 

汗をかいて、文章をかいて、そして、恥をかくのだ。量はやがて質へと転換される。

 

いつも、再開しては止めを繰り返していた。何故なら、文章を書くことはとても疲れるからだ。1つの記事を書くのに1時間はかかる。パソコンの前で、またはスマホの前で、文章をひたすらシコシコと打ち続ける。投稿した後にドッと疲れる。疲れるから、たぶん続かないのだろう。

 

だが、Twitterは毎日やっている。スマホを持つと体が勝手にTwitterアプリを起動している。そして気がつくと1時間も2時間もずっとタイムラインを更新し続けている。まとまった文章は1時間書くと疲弊してしまうのに、細切れの140文字の文章はいくつも作っている。

 

だから今年の目標はブログを毎日のように更新していこうと思う。宣言しよう。Twitter廃人から脱却し、俺はブログで文章を書く練習をし、物書きとして名を挙げるのだ。

 

ところで、昨日のブログ記事の文字数は約2300文字だった。空白も入れた文字数だから少しすくなくはなるけれど、400字詰め原稿用紙にして、5枚程度。

 

そして、Twitterの投稿文字数は140文字。2300文字にするには、文字数ギリギリのツイート約16回分になる。これくらい毎日ツイートを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…してないな。毎日そんな大量のツイートはしてないな。そこまでのツイ廃じゃないな。

 

そして今日もTwitterを開く。

 

 

ちんちん。

 

おちんちん。

 

おちんちん、びろーん。

 

おちんちん、Be Long…

 

 

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

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定時と残業と俺

2018年は革新の1年だった。

 

だけど、別に前に進んだ訳ではないし、もしかしたら、迷走しているかもしれない。ただ、今までの自分とは別の自分になろうとしているのは確かだ。

 

去年の3月末に教員を辞め、4月のニート期間を経て、5月にエンジニアとして新しいキャリアを歩んでいる。

 

こういう、新しい世界へ飛び込んだ時は

 

「思ってたのと違った。なんかもっと◯◯だと思ったのに…」

 

みたいに多少なりとも、想像していたものと現実が違っていて、ガッカリするんだろうなと覚悟はしていた。

 

でも、ガッカリはするかもしれないけど、教員を辞めたことは後悔しないだろうと思っていた。

 

しかし、である。そのギャップが全くなかった。ずっと思い描いた通りの仕事だったし、思い描いていた通りの生活だった。

 

エンジニアになる前に思い描いていた生活と寸分の違いもない。1日、黙々とパソコンに向かってコードを書いたりテストしたりしている。

 

会話はほとんどない。日によっては「おはようございます」と「お疲れ様でした」以外の言葉を発さない日だってある。

 

席から動くこともほとんどない。トイレに行く時と、昼食を買いに行く時くらいだ。

 

俺が憧れていた仕事だった。この黙々と机に向かって作業している感じ。人に気を遣ったり、どうやって声をかけようかとか、言葉を色々選んだりとか、そんな面倒くさいことは無用。突然のトラブルが発生して臨機応変な対応が求められることもない。パソコンは金髪にしたり、喧嘩を始めたり、倒れたり、引きこもったりはしない。

 

さらに良いことが2つあった。1つは昼休みがちゃんと1時間あること。昼休みの時間になったら、仕事から離れて昼食をとったり、どこかへ出かけたり、人によっては仮眠をとるなんてこともしている。

 

これは教員時代には考えられないことだ。昼休みは45分あるけれど、その時間に次の授業の準備をしたり、生徒の面談をしたり、生徒から話しかけられたりで休む時間をもらえない。さらに、昼休みでも職員室に生徒が訪れるのだから、仮眠なんてとれるはずがない。

 

2つめのいいことは、残業という概念がしっかりと存在することだ。定時を過ぎたら残業として、料金が発生するのである。「そんなの当たり前じゃないか、どんだけブラックな企業に勤めてたんだよwww」と笑われるかもしれないけれど、教員は残業という概念がない。

 

教員を辞めてから、「残業?いや、生徒のことを思っていれば別に残業代とか、そんなお金なんかいらないし。それに自分が好きで残っている部分もあるから」というのが、世間とズレているのだと知った。

 

それはまだ転職したばかりで、残業という概念がなかった時の話。定時になったが、30分くらいパソコンのファイル整理をしたり、机の上を掃除したりしていた。その後でタイムカードを押したところ、上の人に詰め寄られた。

 

「お前、今、タイムカードを押したのか? 残業の指示も受けていないのに?」

 

「はい、今、押しました。定時過ぎたって言っても30分くらいだからいいかなと思って…」

 

「いや、残業は30分ごとに発生してるんだ。 今、定時過ぎにタイムカードを押したことによって、お前に30分の残業代が発生したんだぞ。残業代が発生したということはつまり、会社が本来受けるべき利益をお前が奪ったことになるんだ。分かってるのか!」

 

このお叱りを受けたとき、衝撃を受けた。定時を過ぎたら残業代が発生する世界が存在するなんて、と思った。叱られたことよりも、そっちの方がショックだった。

 

世間は定時と残業にうるさいことを知った俺は、数日後、残業の必要性の有無を確認し、必要ないと言われたのでタイムカードを定時で押した。その後で、残してしまった作業を片付けようとパソコンに向かっていたところ、またもや上の人が俺に詰め寄ってきた。

 

「お前、今、タイムカードを押したよな? それなのに、なんで仕事しようとしてるの?」

 

「ちょっと残ったものを片付けようと思って。あ、タイムカードは定時で押したので残業代は発生しません。残るのは自分が勝手にやっていることですから問題ありません」

 

「いやいやいやいや、そういう問題じゃなんだよ! お前が残業代もらうとかもらわないとかの話じゃない。もし、然るべき場所の人がお前のタイムカードを見て『なぜ、定時でタイムカードを押しているのに仕事をさせていたのか?』という指摘してきたら、会社が困るんだ。お前がどう思っているかとかは関係ない。だからタイムカードを押したら、とっとと帰れ!」

 

きょとんとする俺。そこで素直に謝って帰ればよかったのに、「そんなことになったら『私が勝手に残ってました』と然るべき人に説明します」とか返してしまい、火に油を注ぐ形となった。あいたたたた…

 

定時と残業というのは、世間的にこんなにもナイーヴな扱われ方をするものだということを知った。これが働き方改革? いや、これが普通か。

 

俺は大学を卒業してから、ずっと教員の仕事をしてきた。だから教員以外の仕事を知らないし、教員以外の社会人の日常を知らない。

 

先生の常識は世間の非常識、と言われる。この「定時と残業」については、世間の非常識を常識だと思ってやっている感はあるなと思った。

 

お叱りを受けた今は、ちゃんと終業時間を意識するようになった。

 

「しまった、あと1分したら残業代が発生してしまう。早くタイムカードを押さないと!!」

 

慌ててタイムカードを切る。

 

非常識な俺が、世間の常識に馴染んでいっているような気がした。

平成31年1月7日

 

震えている。

 

そうか、もう、昭和生まれはおじさん&おばさんになるのか。

 

「俺は昭和生まれだけど、昭和の後ろの方の生まれだから昭和の記憶は全くない。だから、平成生まれみたいなもの」

 

って俺は必死になってたけど、これからはもう、本当に昭和ギリギリの昭和64年生まれでも「昭和生まれなの? おじさんじゃん…ププッ」ってなる時代になるのか。時代は回っている。

 

 

このツイートにもビックリ。

 

学生の頃、レンタルビデオ店でバイトしていた時に、仕事終わりの控え室で「ついに平成生まれのAV女優が出た!」という話題で盛り上がったのが懐かしい。

 

ちなみに、去年は2000年代生まれのAV女優が誕生した年でもある。話題になったミレニアムベイビーたちがAV女優になる年である。

 

その当時、某深夜番組(「今夜」的な名前の番組)でミレニアムベイビーをつくろうとしている夫婦たちを特集していて、レポーターがホテルの部屋の前で

 

「今、これらのホテルの部屋の中では、ミレニアムベイビーを誕生させようとする夫婦たちが子作りに励んでおります」

 

みたいなレポートをしていた。今考えると、凄い内容だったが、当時の俺はまだ子作りが何かを知らないウブな小学生だったから「いや、そんな話よりも、早く裸のお姉さんの映像見せろや!」って全裸で憤っていた。

 

いつかは平成生まれもおじさん&おばさんになるんだろうな。

 

考えてみたら昭和生まれは3つの元号を生きることになる。これは凄いことではないか。今だって、大正生まれという人を見たら「たくさんの時代を生きてきたんですね」と尊敬する。いつかは俺も尊敬される日が来るということだ。

 

しかも、大正生まれは20世紀しか生きていないのに対し、俺は20世紀と21世紀の2つの世紀を生きてるからな!

 

そうか、今年は2019年だから、21世紀生まれのAV女優が誕生するということか。

 

うひゃー!

 

…あ、言い忘れていましたが。2019年明けまして。その先は喪中なので控えさせて頂きます。明けまして、明けまして、どうも、明けまして。

 

昨年は色々とお世話になりました。本年もよろしくお願いします。

 

いやぁ、本当に、明けまして…

 

 

恋人とクリスマスを過ごしている人たちへ

聖なる夜をりっしんべんに生きると書いて「性なる夜」にしようとしている人たちへ。


今宵は互いのクリスマスプレゼントとして愛を送ろうとしているようですが、この国にもクリスマスプレゼントをあげようとは思いませんか?


もし、この国を愛しているのならば、日本を愛しているのならば、君たちにプレゼントをしてもらいたいものがあります。君たちにしか贈ることができないプレゼントです。


それは新しい命。そうです、新しい命をこの国の為にください。少子化で子供に飢えているこの国に新しい命を。


街にはサンタの格好をしている人がいたるところにいますが、彼らはただのコスプレイヤーです。本物のサンタではありません。


では、真のサンタは誰か。それは、今、恋人と手を繋いで街を歩いているあなたたちです。あなたたちこそが真のサンタクロースなのです。


さぁ、この国に新しい命を。そうすれば、今宵、あなたたちが行おうとしている淫靡な行為は、神聖な儀式へと変わることでしょう。この国に新たな命を。この国の未来に希望の光を。

 

そして神よ。現代に生きる、マリアとヨゼフたちに新しい命を与えたまえ。

未来から来た男

未来から来たのだという。

 

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2075年から、この時代にやってきたのだと彼は言う。


そして、彼のツイートのリプ欄にはたくさんのコメントがついている。


「じゃあ、今日は何が起こるんですか?」


「今日の夜は雨が降りますか?」


「俺は童貞を卒業することができるのでしょうか?」


「質問に答えてください、未来人なら分かるでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いや、分からないだろ!!


例え本当に未来から来ていたとしても、何も起こらなかった日の出来事を記憶している訳がないし、雨が降った日なんか覚えていないし、まして、見ず知らずの人のチェリー卒業の話なんか知ったことではない。

 

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ほら、やっぱり怒られてるwww


自分がもしタイムマシンで過去の時代に行ったら、を想像してみる。

 

例えば、11年前、2007年の8月27日。


「私はタイムマシンに乗って、2018年からこの時代にやってきました。何か質問ありますか?」


「今は誰が総理大臣ですか?」


安倍晋三です」


「今、どんなゲームが流行ってますか?」


ポケモンですかね。大人もケータイでポケモンをやってる人が多いです」


「今、音楽界ではどんな曲が売れてますか」


「先月のオリコンチャート1位は嵐でした。そして今、サザンオールスターズがデビュー40周年で盛り上がってます」


「日曜日の朝はどんなアニメがやってますか?」


プリキュアとワンピースですかね。この春からゲゲゲの鬼太郎が盛り上がってます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「変わってねぇじゃん!! 2007年と何も変わってねぇじゃん。総理大臣も、日曜朝のアニメも、ゲームも、アーティストも。お前、本当に2018年から来たんか?」


ってボコボコに叩かれそうだ。


「ぁ、2011年に東日本に1000年に一度の大地震が起こります。東京も震度5弱地震がきて、都心の電車は完全にストップ。人々は家に帰ることができず、帰宅難民と化しました。


そして日本地図が変わってしまうくらいの大津波がやってくるし、原子力発電所にまで津波が押し寄せて電源がショートして動かなくなり、放射線が漏れ出し近隣住民は県外へ避難する事態が起こります。


原発が停止してしまったので、電気が足りなくなり、政府が計画的な停電を東京含めた東日本で実施しました。」


「はぁ? そんなSF映画みたいなことが起こる訳ないだろ。バカにしてんの?東京は首都直下型地震の対策をとってるだろうし、原発だって、地震大国なんだから津波対策は万全に万全を期すだろう。日本地図が変わるほどの津波って…スケールがでか過ぎて全然伝わらないわwww」


「いやいや、本当なんですって。原発事故が起こってから、あちこちの地域が毎日放射線量をネットで公開したり、原発近くのところから出荷される野菜は、出荷時にガイガーカウンタで放射線量を測定して安全を確かめます。あ、TOKIOがそこの地域の野菜の宣伝してますよ。安全だから食べてください、ってね」


「ガイガーカウンタってなにそれ。そんなディストピアみたいになってよく生きてるね。ってか、TOKIOだったら、原発直せるんじゃねwww」


「2018年から来たっていうお前さ、そんなカオスみたいな2011年って、どんな言葉が流行ったの?」


「ポポポポーン、かな」


「はぁ?」


「まほうのことばで、たのしいなかまが、ポポポポーン!!」


「お前、やっぱり嘘だろ。そんな最悪な状況で、ポポポポーンとかふざけた言葉が流行るわけないだろ」


「いや、本当だって。テレビはみんな自粛ムードで、公共広告機構っていうやつのCMばかりが流れていたんだ」


「それが何で『たのしいなかま』とか『ポポポポーン』とかになるんだよ。そんな大変な状況で、普通『ポポポポーン』とか言えるわけがないだろうがっ!!」


…ってなるかな。


やっぱり、何を言っても信じてもらえなさそうだな。

 

それなら、元号が変わる話はどうだろうか。


「平成が終わります。今は平成最後の夏です」


「ぇ、陛下、亡くなられたの?!?!」


「いや、生前退位されるんです」


「はぁ? そんなこと許される訳ないだろうが! お前、皇室典範ってのを知らないな? 皇族の決まりみたいなのが書かれているやつだけど、そこには元号天皇崩御してからってあるんだよ」


「えぇ、知ってます。その特例を設けて生前退位になったんです」


「特例だって!? バカをいうな。そんなことをしたら陛下が政治利用されるぞ。ってか、生前退位とか不敬極まりないことを言い出したのは誰なんだ! 生きている陛下を退かせようとする売国奴がいたんだろ?」


「いや、陛下自身がお気持ちとして職務を全うするのが辛くなったと仰ったんですけど…」


「嘘をつくな。お前、不敬だぞ。この売国奴めがっ!」


やっぱりダメそうだ。11年前のネトウヨにボコボコにされて終わりだ。


きっと未来人は本当に未来から来たとしても、信じてもらえるのに相当苦労することだろう。


というか、そもそも「未来人だけど質問ある?」ってネットに出てくる必要はあるのだろうか。出てきたところで、どんなメリットがあるのか。


それはただの承認欲求を満たそうとしているだけなのではないか。


そんな自己顕示欲の塊みたいな人の言うことを、確かに聞きたくないな。その話が本当に起こることだとしても。


もしかすると、この感じ、みんなより先にその映画やドラマなんかを観ていて、ちょっと優越感に浸ってる奴みたいのと似ているかもしれない。


「俺、その映画、観たんだよね。とても、いい映画だったよ。凄い、ラストが衝撃。ぇ、そうなの!?って鳥肌が立つくらい衝撃的。


いやぁ、ラストがとにかく凄いんだよ。絶対に観て後悔しないよ。ラストが凄いからね。


あー、言いたい。ラストを、言いたいなー。


あー、もう、俺がラストを言ってしまう前に、劇場へ急げ!…なーんつってね★」


あ、ウザい。


これは、ウザい。


未来人、ウザいぞ。


自己顕示欲が旺盛な人はウザいけど、それが未来人ならば、その100倍はウザいぞ。

 

 

 

 

知らないおばさんに突然お金をせびられた話

駅のホームで、知らないおばさんに唐突に声をかけられた。


「電車乗ったり飲み物買ったりしたいので、300円とか1000円とか頂けませんか?」


本当に突然のことで、俺は目を丸くした。


「いや、今日は現金を持ってないので」


と断ったら凄く残念そうに去っていった。残念そうにする意味も全く分からないけど。


おばさんは、歳は40代半ばくらいで、それなりにしっかりした身なりをしていた。お金に困っていそうな感じには見えない。


それにしても、何のワケも話さず、いきなり「お金を頂けないか」とは一体どういうつもりなのか。そんな唐突に声をかけて、それでお金をもらえると思っていたのか。「お金を盗まれちゃって…」とか「違う財布を持ってきてしまって…」とか、嘘でもいいから何かしらの理由をつけたら少しは違ったのに。まぁ、それでも渡さないけど。


そもそも、このおばさんのおかしなところは「貸してくれ」ではないということだ。後で必ず返すから、というのならば考えないこともないわけではない。そうではないから、余計に意味不明だ。


そういえば、ずっと前に、お金を恵んで欲しいと声をかけられたことがあったのを思い出した。


駅で20代半ばくらいのお兄さんに金を貸して欲しいと頼まれた。なんでも、身内が病で倒れて実家に帰らないといけないけど金が無くて帰れないとのこと。


だったら警察に行って相談したら?と提案したのだが、警察に既に相談はしたのだが、断られたのだという。


「必ず返します。本当に困ってるんです。詐欺とかそういうんじゃないです。ちゃんと連絡先やバイト先も教えます」


そこまで言われたら、助けてあげようかなと思った。2000円程度くらいなら、たとえ返ってこなかったとしても痛くないか。ちょっと人を信じてみよう。


そう思って財布を開いたら、千円札は入っておらず、一万円札が1枚しか入っていなかった。さすがに一万円札を渡したくはない。


「ごめんなさい。お金下ろしてないことを忘れていて、今、財布に金が入ってなかったです」


すると彼は諦めるかと思いきや、


「じゃあ、お金下ろしてきてもらえませんか? 僕、一緒についていくので」


と食い下がってきた。


確かに、お金がもらえると思ったのに、突然断られたのだから、気分を害してしまったのは分かる。


しかし、なぜ、初めて会った人にそんなことまでしないといけないのだ。


「いや、そんな時間は無いんで。ごめんなさい、他を当たってください」


そこでようやく相手は諦め、俺は逃げるようにホームの階段を駆け上がった。


…という過去を思い出して、今日のおばさんのことを考える。


もしも「貸す」となった場合、返済の義務が生じる。嘘の連絡先を渡して逃げたら犯罪だ。


しかし「もらう」のならば、それは生じない。俺が好意でおばさんにお金を渡したのだから、どんなにしかるべき場所に訴えても俺の言い分は棄却されてしまう。


これが被災地への寄付と称してお金を受け取り、自分の懐にいれたら詐欺になるのかもしれない。しかし、おばさんが求めてるのは「自分の電車賃や飲み物代」だ。


このおばさん、策士か。


俺に拒否されたおばさんは、そのあと、電車待ちしている大学生くらいの男性に声をかけていた。少し距離があったので、会話は聞こえない。しかし、やはり断られたのか、男性から離れていった。食い下がったりせず、すぐに諦めるところが潔い。


家に帰って家族にその話をしてみたら、


「それ、新手のナンパじゃないの? お金をくださいって声をかけて、話がしたかったんじゃない?」

 

と言われた。

 

なるほど、ナンパか。確かに、俺の後に声をかけたのも若い男性だった。しかも、オシャレ系。


そっか、ナンパか。


そっかそっかそっか、ナンパか。


ふぅん、ナンパだったのか。

 

へぇ、ナンパだったのね。


俺が…ナンパねぇ…


そっかそっか。


俺が…ナンパ…

 

俺が…デュフフフ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、デュフフフ…じゃねぇわ!!


嬉しくはないだろ、普通に。

 

そんな、見知らぬ人に突然金をせびるようなおばさんにナンパされても。

 

ガッキー似のお姉さんだったら、もしかすると…いやいやいや、それは逆にデートなんちゃらか、美人局だと疑わないといけないわ。


もしも、おばさんが


「喉が凄く渇いているのですが、財布を落としてしまいました。申し訳ないのですが、私にお茶を買って頂けないですか?」


みたいに来たら買ってあげないこともなかったかもしれなかったのに。


現金はダメだ。


そんな現金な女性に優しくしたいと思わないわ!!