日本語とはなんと奥ゆかしき言語であるか
日本語には尊敬語と謙譲語がある。
尊敬語は相手を敬い、立てる時に使う言葉。
謙譲語は自分を低くすることで、相手を立てる時に使う言葉。
どちらも相手を立てるというOMOTENASHIを含んだ言語だといえる。こんな奥ゆかしい言語が日本語以外にある?
そもそも「奥ゆかしい」という概念さえも日本特有のものかもしれない。
尊敬語と謙譲語は「いらっしゃる」と「伺う」のような動詞以外にも、「御社」と「弊社」のような名詞もある。
相手の妻を「奥様」といい、自分の妻を「家内」と言ったりする。
相手の息子は「ご子息」で、相手の娘は「ご令嬢」だ。
そして自分の息子は「愚息」で、娘は「愚娘」という。なるほど、相手を立てる為に自分だけでなく、自分の子供さえも低くさせる。
奥ゆかしき日本語。
他にも謙譲語はないか調べてみる。
豚児…
豚の子…
相手「そちらはあなたのご子息でいらっしゃいますか?」
自分「はい、これは私の豚児です」
相手「とても賢そうなご子息ですね」
自分「いえいえ、豚児です。もう、豚みたいな子供です。寝て食って毎日を生きてるような豚です」
相手「でも、聞くところによると一流大学に在学だとか。賢いご子息ですね」
自分「いえいえ、豚児です。大学には入れましたけど、毎日勉強なんかしないで、毎晩酒を飲み、女の子とセックスばっかりしてます。もう、豚みたいな大学生活を送ってます。ほら豚児よ、挨拶をしなさい」
子供「はじめまして、豚児です。ぶひー」
そういうことか。
もう一つ。
豚犬…
もはや子供ですらない。
相手「こちらはご子息でいらっしゃいますか?」
自分「えぇ、これは私の豚犬です。ほら豚犬、挨拶をしなさい」
子供「わんわん、ぶひー!!」
日本語とはなんと奥ゆかしき言語であるか。