ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

「愛国心」という違和感

この前、あるつけ麺屋にいったら、こんな経営理念が飾られてた。

 

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この文言に、なんか違和感を覚えた。

 

「祖国日本の豊かな社会を創る為」

 

っていう部分。

 

「祖国」っていう言葉、必要か?

 

これ、普通に「日本の豊かな社会を創る為」みたいにはできなかったのだろうか。何故、わざわざ「祖国」をつける必要が…???

 

「いや、祖国というのは『自分たちの国』っていう意味で使われているんだから、別に何もおかしいことではない」

 

と言われたら、それまでなのだが。

 

それと同じで「愛国心」という言葉にも良いイメージをもたない。国を愛する気持ち、なのだから何ら悪い意味の言葉ではない。

 

しかし、

 

「私は愛国心があります」

 

と言う人がいたら、なんとなく距離を置きたくなる。

 

そういえば、RAD WIMPSの新曲の『HINOMARU』が物議を醸した。歌詞の中に「御国」とか「御霊」などの言葉が入っていたり、軍歌を思わせるような文体だったりが「戦前の軍国主義の日本を賛美している」というのだ。

 

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よく歌詞を読むと、どこにも「軍国主義の賛美」を想起させる部分なんて見当たらない。曲調も軍歌のように勇ましいものでもなく、しっとりとしたメロディだ。

 

もっと前にはゆずの『ガイコクジンノトモダチ』が叩かれていた。

 

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「日本では愛国心を表現すると叩かれる。祖国を愛する気持ちを表して何が悪いというのだ」

 

とネット界隈の人たちは嘆く。言いたいことは分かる。自分たちの国を愛する気持ちをもつことは悪いことではない。悪いことではないけど「なんとなく違和感」がくっついてしまう。

 

愛国心で思い出すのが教育基本法の改正の話。教育に関する基本的な法律である教育基本法が改正される時、次の文言が物議を醸した。

 

伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 

この改正案に対して

 

愛国心を教育するということを法律で決めていいのか? 国を愛する愛さないは個人の自由ではないか?」

 

という疑問の声が上がった。

 

「いや、自分たちの国を愛するように教育していくのは当然でしょ? 伝統や文化、歴史をしっかり教えないと、次の世代に自分たちの国を任せられないでしょ」

 

と思ったのだけど、確かに反対する立場の人の目線で考えてみたら、これもまた「愛国心」という違和感なのかもしれない。

 

国を愛することに右も左もない。

 

でも、愛国心に対して、意味もなく訝しくなり、こみ上げるこの気持ちは、なに?