ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

克服することと依存すること

今まで食べられなかったが、ここ数年の間で食べられるようになったものがある。

 

寿司のガリである。

 

それまでは寿司の隅っこにいるガリが、とても邪魔だった。持ち帰りの寿司を家で食べると、必ずガリ生ゴミ処分しなくてはいけない。まるでエビフライの尻尾みたいに、完食されたプラ容器に、小さくその存在をアピールしてくる。とても鬱陶しい。

 

それを克服しようと思ったのは、ある日、職場の人たちと回転寿司へ行った時のことだ。醤油や甘タレや楊枝などと一緒に置いてあるガリの容器。蓋を開けると、そこにはガリが容器の容量ギリギリまで入っている。みんなはそれを皿にこんもりと盛ると、ポリポリと音を立てて美味しそうに食べ始めた。

 

それを見て、俺はなんだか損をしている気持ちになった。目の前に食べ放題のガリがこんなにたくさんあるのに、自分はそれを食べられない。同じ料金を支払うのに、自分だけガリの分、損をしている。

 

そこから俺はガリを食べるようにした。始めは生姜の苦くて辛い、独特の風味や食感に違和感しかなかった。だが一方で、ガリを食べていることで、なんだか人並みに寿司を楽しめているような気持ちにもなれた。

 

ガリを食べるように努めた結果、俺はガリを食べられるようになった。回転寿司に行って席に着いたら、まずはガリを食べるという習慣が身についた。これまでずっと苦手だったものを克服することに成功したのだ。やったぜ。

 

だがしかし、寿司のガリを食べられるようになったのは良いことばかりではないことに気づいた。「寿司にはガリ」という新しい価値観ができてしまってから、ガリのない寿司に違和感を覚えるようになったのだ。

 

たまにコンビニやスーパーで寿司を買うと、ガリがついていないものがある。そうなると、食べ終わった後、口の中に違和感が残る。寿司とガリがセットになっているから、生姜の風味がないまま寿司を食べることがとても気持ち悪く感じてしまったのだ。

 

これは依存なのか…?

 

ガリを克服し、今度はガリに依存するようになった。ガリの無い寿司が考えられなくなってしまった。

 

そういえば、子供の頃はワサビの入った寿司なんか食べられなかった。大人になりワサビの入った寿司が食べられるようになると、今度は逆にワサビの無い寿司が気持ち悪くなった。KR寿司なんかはワサビ無しがデフォだから、ワサビをたっぷりつけて食べている。

 

克服することで生まれる依存もある。

 

克服は必ずしも良い結果だけとは限らない。そんなことを、ガリは俺に教えてくれた。