ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

一人称を何にしようか考えていた頃の話

小学3年生くらいまで、一人称が自分の名前だった。しかも「君」を付けていた。

 

なかなか恥ずかしい。それが許されるのは幼稚園かもっと大きくても小1くらいだろう。

 

自分の一人称が赤ちゃんみたいだと思った小3の俺は、自分の一人称を考えることにした。

 

さて、どうしようか。「ぼく」だとなんか弱々しい人の感じがするし、「オレ」だと乱暴で頭が悪そうな人の感じがする。

 

色々と考えた結果、一人称は「私」にすることにした。自分のことを「私」と言っている大人の男性をテレビで見て知っていたから、「私」という一人称には男も女も関係ないのだと思った。それに生来の「人と同じことをするのが嫌い」という捻くれた性格が「自分のことを『私』と呼んでいる自分、カッコいい」と思わせていた。

 

繰り返すが小3の頃の話である。まだ声変わりもしていない男児が、自分のことを「私」と呼んでいるのだ。周りは不気味だったに違いない。

 

親に「あなた、自分のこと『私』って呼ぶのおかしいよ」と言われたことはある。それに対して「いや、男でも『私』と使っている人はいる。だからおかしくない」と反論した。親も「でも、それは大人の男であってあなたの場合は…」みたいなことは言っていたけれど、俺はもう、そんなことは聞き流していた。

 

学校で書く作文も、もちろん一人称は「私」にした。いつだったか、授業中にみんなの前で「あなたは作文で『私は』って書くの、大人っぽいね」と褒められたことがある。みんなよりも先に行っている感じがして鼻が高くなった。

 

中学に入った頃から一人称の中に「俺」が入ってきた。思春期特有のイキリだったのかもしれない。それでもたまに「俺」の中に「私」が混ざる。

 

高校や大学でも「俺」と「私」は混在していた。それは別に自然なことだったので「なんでお前、自分のこと『私』とか言ってるの? 面接かよwww」とからかわれても何とも思わなかった。

 

大人になってからは、一人称が「私」であることに誰も何も言わない。小学校の頃から「私」と使い続けてきた「変な人」だったけれど、大人になって、ようやく「普通の人」になることができた。

 

自分の一人称が自分の年齢に追いついてきたのだ。小3から社会人1年目だから、約16年かかったことになる。

 

子供の頃の背伸びがここまでかかってしまった。

 

しかし、である。高校の時、俺よりもさらに先を行く人がいた。俺が所属していたヲタク部の先輩で、彼は自分のことを「ワシ」と呼んでいた。

 

高校生で「ワシ」である。果たして、先輩の一人称が自分の年齢に追いつくのに、あと何十年かかることだろうか。この先、何十年間も「なんで一人称が『ワシ』なの? おかしくないwww」とからかわれながら生き続けるのだ。ぜひ、先輩には、その苦労が報われる為に長生きしてもらいたいと願う次第である。