ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

継ぎ足されてきた何か…

犯罪ではないけど、これをやったら犯罪者のような扱いを受けるようなことがある。

 

何ヶ月もかけてみんなで作ったドミノを発表日前日に崩してしまうとか、サプライズのケーキをサプライズ直前で潰してしまうとか、けん玉ギネス記録への挑戦を自分のミスで台無しにしてしまうとか。

 

そんな罪名なき犯罪の中で、なかなか重たい罪じゃないかと思うのが

 

「創業以来、何十年も継ぎ足されてきたタレを、ひっくり返す」

 

ということ。

 

これはなかなか重罪だと思う。先代から代々受け継がれてきたであろう伝統のタレを、一瞬にして下水に流してしまう。

 

もし俺が、継ぎ足しのタレを使った老舗で働いたら、絶対にその失敗をする自信がある。そして、激しく叱責される自信がある。

 

「てめぇ、何てことしてくれたんだ!! これはな、50年という長い間継ぎ足されてきた伝統のタレなんだよ。

 

両親がてめぇの種仕込んでる時も、てめぇがママのおっぱいをチューチューしてる時も、てめぇが鼻水垂らして『うんこちんこ』で笑ってる時も、てめぇが女のこと考えて毎晩部屋で精子飛ばしてる時も、てめぇがサルみてぇに女とパコパコしてる時も、ずっとずっとずっと、このタレは継ぎ足されてきたんだよ。

 

その伝統を、てめぇは今、途切れさせやがった。選べ、てめぇの人生みたいに薄っぺらく下ろされるか、永遠に水を継ぎ足されて二度と陸の空気を吸えないようになるか、選びやがれ!!!!」

 

と包丁の切っ先を喉元に向けられ、怒鳴られるんだろな。怖い。

 

だけど、俺はこの「継ぎ足しのタレ」について、ずっと疑問に思っていた。創業50年の継ぎ足しのタレの中には「50年物」は存在しないのではないだろうか。タレを継ぎ足したら、その時点でタレの新旧が混ざる。例えば、コップ1杯のタレを汲んできて、その成分を調べたら、50年前のタレ成分は何%含まれているのだろうか。

 

俺はいつもテレビで「創業以来継ぎ足されてきた伝統のタレ」みたいなのが紹介される度に「それって本当に凄いの?」と訝しんでいた。

 

というか、もし本当に50年前のタレが存在していたら、逆に気持ち悪い。50年もいて腐らないのだろうか。ワインみたいに熟成するということか? いや、ワインだってコルクを開けたら痛み出すだろう。

 

そう思っていたら、先日、何かのテレビ番組で、この継ぎ足しのタレについて取り上げられていた。

 

「継ぎ足しのタレはどうして腐らないの?」

 

という疑問を検証するコーナーだった。継ぎ足しのタレを使っている店の人にインタビューしても、首を傾げている。

 

「糖分や塩分が多いからじゃないですか?」

 

「熟成してるからじゃないですか?」

 

「食材に含まれる酵素的なのがいい感じに殺菌してくれてるからじゃないですか?」

 

継ぎ足しのタレを使っているけど、みんな分からない。

 

ボーッと生きてんじゃねぇよ!!

 

老舗のご主人がお茶の間に醜態を散々晒されて、正解が発表される。

 

「継ぎ足しのタレは、1ヶ月と経たないうちに中身が全て入れ替わってしまうから!」

 

えっ!?って思った。

 

インタビューを受けた店の人たちも正解を知って「えっ!?」って言っていた。

 

そして検証実験が始まった。赤色と青色の2色の水を用意する。赤色の水が入った水槽からコップ一杯分すくって捨てる。そこへ、捨てた分の量の青い水を足す。よくかき混ぜてから、再び水槽からコップ一杯分の水を捨て、そこへコップ一杯分の青色の水入れる。

 

それを何度か繰り返す。最初は赤と青が混ざって紫色になっていたのだが、20回を超えた辺りから水槽の水が継ぎ足された青色になっていく。やがて、水槽の水は完全な青色になった。

 

継ぎ足しのタレはそんな仰々しいものではなかったのだ。だから、例え50年継ぎ足されたタレをひっくり返そうとも、そのうちの最も古い成分はたかだか1ヶ月程前のものなのだ。1ヶ月前のものをひっくり返されたのだから、全く騒ぐほどのことではない。

 

「創業時のタレをタイムマシン乗って取ってくるか、いますぐ死ぬか、選べ!」

 

と無茶な要求をされても、涼しい顔をしていたらいい。

 

「お言葉を返すようですが、私が溢したタレのうち、最も古い部分はせいぜい1ヶ月程前のものですよ? 50年前に仕込んだタレなんか、とっくに無くなってますよ?

 

まぁ、1ヶ月前だろうが過去に戻ることはできません。しかし、この先の1ヶ月なんてあっという間に過ぎていきます。

 

たかだか1ヶ月の為に、あなたは私を殺して犯罪者になるおつもりですか? 1ヶ月前のタレを台無しにされたくらいで、あなたのこれからの何十年の人生を台無しにしてもいいのでしょうか?」

 

相手は言葉に詰まった。向けられた刃は、力を失って俺の喉元から離れていく。そして彼は顔を伏せ、大きな呼吸を一つすると、再び俺の顔と向き合った。

 

そこには、何かから解放されたような、スッキリとした顔があった。

 

「確かにそうかもしれないな…

 

実は俺も薄々気づいていた。このタレの中に、50年前のものが混ざっているなんてことはないと。

 

そして俺は最近考えるようになった。何が楽しくて毎日『伝統』と向き合っているのだろうかと。

 

てめぇの言葉を受けて、俺は分かったよ。伝統に生かされていることも大事かもしれない。でも、今を生きることも大事なのだと。

 

ありがとう、てめぇが継ぎ足しのタレを溢してくれたことで、俺は大事なことに気づけたよ。いや、本当はずっと前から気づいていたのかもしれない。気づかないようにしていただけなのかもしれないな。

 

本当に…ありがとう」

 

お互い、目から涙をこぼしていた。床を流れるタレに2人の涙が混ざり合う。今までずっと狭いタレ壺の中にいたタレたちは、広くて自由なこの風景を、そして俺たちをどんな気持ちで見ているのだろうか。涙が止まらない…

 

相手は俺をギュッと抱きしめた。先ほどの剣幕が想像できないくらい優しい抱擁だった。この道何十年という歳月を、彼はこのタレと共に過ごしてきたのだ。彼の無骨な腕に抱かれ、不器用ながらも真っ直ぐな「漢」の姿を、俺は全身で感じていた。

 

すると俺の背中で、何かがプツリと弾けた。その場所から、何か熱いものが滲み出てくる。全身から冷たい汗が流れていく。

 

何が起こったのか把握しきれない。奴は俺の耳元に口を近づけ、囁いた。

 

「でも、それはそれ、これはこれだ。タレにかけた俺の人生、てめぇの命で償え…」

 

50年もの間継ぎ足されてきた暗黒色のタレと、俺の体内で何十年も継ぎ足されてきた暗赤色のタレが混ざる。

 

そういえば、暗赤色の方のタレは120日間で全てが入れ替わると聞いたことがある。

 

俺の方が凄い…継ぎ足しのタレなんかより…継ぎ足しの俺の…俺の…