いなか、の、じまん
生まれも育ちも東京寄りの埼玉の俺。
中学で池袋で遊ぶことを覚えたし、高校は都内だったし、大学は新宿駅が乗り換え駅だった。
物心ついた頃には東京でうぇいうぇいしていたから、東京への憧れを抱くことはなかった。だから、地方の人が抱くであろう東京への憧れみたいなものに、憧れをもっていたりする。東京へ行って「都会はもんげーところずらぁ…」とか圧倒されるような経験をしてみたかった。
方言とか喋りたかった。標準語と地方語のバイリンガルじゃん。
断っておくが、地方の人をバカにしているワケではない。
だから、地方出身の人たちが繰り広げる、地元のあるあるトークをされるとついていけない。そして、地域は違えども、何か通じ合っているのを見るのが悔しい。
「ジャンプは火曜日発売だと思ってたよね」
「東京に来てテレビのチャンネルの多さに驚いた」
「自宅に鍵をかけたことがない」
「ほとんどのコンビニに駐車場が無いか、あっても小さすぎてビックリした」
「都会の人、歩くの速過ぎでワロタwww」
と盛り上がっているとそこに入れないどころか、なんだか「お前には分からないだろう」と見下されたような気持ちになる。
この前、夜の新宿を歩いていたら、大学生くらいの飲み会帰りとおぼしき集団が歩いてきた。そのうちの1人の女性が、周りの目などお構いなしの大声で、隣を歩いている人に話しかけている。
「ねぇ、あなたの地元って温泉出てるの? うちの地元は温泉出てるんだ。ねぇ、あなたのところはどう? 温泉とか、出てる? うちは出てるよ、温泉。温泉出てるとこで育ったんだ。で、出てるの? 温泉は? あなたの地元は、温泉、出てるの? うちは温泉出てるんだけど、あなたのとこは、どう? 温泉は?」
温泉…
その女性は「温泉が出てる地域出身自慢」を繰り広げ、俺の前を通り過ぎていった。
地元の価値基準の一つに「温泉が出ているか?」ということがあるだなんて。気づかなかった。確かに温泉地って、ひとつのバロメーターかもしれない。
そうか、温泉があるというのは、それだけで地元の人たちの誇りとなるのか。しかし、こんなに地元で温泉が出てることを自慢する人は初めてみた。
そういえば、本場の博多育ちの人が東京の豚骨ラーメンを食べるとマズイと感じるらしい。地元店との味の乖離が酷くて「こんなのを『本場の味』だなんて名乗るんじゃねぇ!」と憤るようだ。
それならば、温泉地で生まれ育った彼女が、もしもお台場の大江戸温泉物語なんかに入ったら
「なにこれ、これが温泉ですって? 私の地元の温泉に比べたら、こんなの入浴剤入れたお湯みたいなものよ! こんなのを温泉だとありがたがる東京の人たちは可哀想だわ!」
と憤るに違いない。
都内の温泉をありがたがる人たちを嘲笑う人たち。俺の地方出身者への憧れが、益々、止まらない。
都会に憧れる生活に、憧れる。