ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

大人になって流行にのれるようになった俺の話

世の中の「大人」の方々は、今の流行を追えなくなったり、流行にケチをつけ始める生物だと思っている。若者が楽しんでいる姿を横から見て「それの何が楽しいのか。最近の若い子は分からない」と否定するのが、大人。「あの頃はよかった」と想い出に浸るのが、大人。


だけど、俺は大人になるにつれ、流行に対して寛容になってきている気がする。


小学生の頃、俺はみんなと同じものを好きになるのが嫌だった。そして、みんなが聴いている音楽やテレビ番組、漫画などを否定することこそが、大人だと思っていた。みんなよりも大人でありたい、という背伸びが完全に間違った方向へいってしまい、とにかく流行というものを否定していた。「最近の若い奴らは…」と言ってみることで、周りよりも上に立てている気持ちになれた。

 

プリクラは絶対に撮らない主義を貫き、若者言葉を聞けば「日本語が乱れている!」と喚き、アイドルを「顔がいいだけでテレビに出られている頭の悪い奴ら」とこき下ろし、流行っていたテレビ番組も「くだらない!」と見たこともないのに否定していた。小学生の頃から一丁前に文庫本を持ち歩いていたから、マンガなんて頭の悪い奴が読むものだと決めつけていた。

 

それは小学校高学年くらいにピークを迎え、懐メロや演歌を聴いては「やっぱり、昔の日本の曲が最高だ。愛とか恋しか歌わない今の歌とは大違い」と感慨に浸り、安室奈美恵やSPEEDや小室ファミリーGLAYスピッツで盛り上がる流行の音楽を徹底的に拒否した。サザンオールスターズはその時から好きだったが「彼らは『最近の若いアーティスト』じゃないからいいんだよ!」という理由で正当化していた。

 

流行を否定しなくなったのは、大学生になってからだ。その時、レンタルビデオ店でアルバイトをしていたので、自然と流行の音楽や映画などの情報が入ってきたし、自分もそれを取り入れようという気持ちになれた。


そして大人になるにつれ、流行を否定する姿勢から受け入れる姿勢が強くなっていった。TSUTAYAのCDランキング棚にあるシングルCDを上からレンタルして聴いてみるなんて、昔なら絶対に考えられなかった。


大人になってから流行にのることが面白いと思うようになった。流行にのることで、世界が広がっていき、世界と繋がっている感じがする。仮にそれが自分に合わなかったとしても経験は得られるし、「なんでこれが流行しているんだろうか?」と社会を俯瞰してみることも楽しい。


だからこそ、流行を否定することが格好いいと思っていたことをとても悔やんでいる。ドラゴンボールスラムダンクを観ておけばよかったな、もう少しアイドルとかに興味をもてばよかったな、漫画をもっと読んでおけばよかったな…エトセトラエトセトラ


同世代で過去の話をしても、話題についていけないことがある。そういえば学生の頃、付き合っていた彼女から「ドラゴンボールを読んだことがないだなんて、あなた人生を損しているわよ」と笑われたりもした。

 

否定することは簡単だし、否定することで自分が優位に立てたような気持ちになる。しかし、それによって自分の世界を狭めてしまうし、世間からどんどんと取り残されていく。

 

大人になってからそのことに気づけた。逆に子供の頃にそれをやってよかったのかもしれない。

 

これからは世の中の動きに寛容になっていけそうな気がする。