ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

私が教師を辞めるまで②

通うことになったプログラミングスクールは、転職保証付きで、転職できなかった場合は学費を全額返金するというものだった。ただし、毎週20時間以上スクールに自習にくるということ、毎週日曜日の講義に参加すること、与えられた課題は期日までに提出することなどが条件だった。なるほど、厳しい。しかし、絶対に転職させる!という力強さみたいなものを感じた。


HTML、CSSJavaScriptRubyRuby on RailsAWSの扱い方がカリキュラムとして組まれていた。フロントエンドからインフラまで。これにSlackとかgit hubとかも織り交ぜている。なかなか濃ゆい。


俺は仕事が終わったらスクールに通い、日曜日は朝から講義を受け、その中で課題もしっかりこなすなど、一生懸命に努力をした!!


…って、言えたらカッコ良かったのだが、実際にはそうはならなかった。


仕事が片付かずなかなかスクールに通えなかったし、土曜日も仕事でヘトヘトで日曜日を迎えるので講義も耳に入らなかったし、課題をこなす時間もとれなかった。言い訳すれば、仕事が忙しいとか、心身ともにボロボロで、それに取り組める余裕がなかった…エトセトラエトセトラ。


「出来ない言い訳よりも、出来る工夫をするんだ!」


分かってる。分かっている…分かってはいるけど…けど…


そして気づいたら、カリキュラムも終わり、3月を迎えようとしていた。終わっていない課題があるし、ポートフォリオは完成していないし、一緒にスタートした周りの人たちは就職を決めているしで、焦りを感じていた。


そして、職場には今年度限りで辞める話をしていた。引き止められるか、と覚悟をしていたが、何を言われても絶対に残らないと決めていた。


しかし、引き止めはされなかった。悔しそうな寂しそうな顔をされた。


「そうか…しかし、君の人生だ。君がそう決めたのならば止めはしない。もしも、困ったことがあったならばいつでも相談しなさい」


涙が出そうになった。これまで本当に迷惑ばかりをかけ、お世話になったから、ONE PIECEのサンジばりにその場で土下座して「今までクソお世話になりました。このご恩は一生忘れません!」と涙を流しながら叫びたい気持ちになった。


しかし、そんなかっこいいことが出来るわけもなく、「今まで本当にお世話になりました」と囁くように伝え、頭を下げることしかできなかった。その夜は涙に暮れたけど。


そして退職の時期が近づいているにも関わらず、次の職場は決まらない。しかし、辞めると言ったことへの後悔は1ミリもなかった。他の学校で教師をやることも考えていなかった。


高い学費を払ってプログラミングを学んだからではない。自分の気持ちとしっかりと向き合った時、そこに教職への一切の思いは無かった。どこぞの学校で非常勤としてでも雇ってもらうくらいならば、ニートになった方がマシだと思っていた。教職から身を引く覚悟は出来ていた。


そして3月に入り危機感をもった俺は、スクールを通じてではなく、独自に就職活動することにした。


新たな道に挑戦するのだから、転職先は誤らないようにしないといけない。入ったけれどブラック企業で、潰されてしまっては元も子もない。だから、ネットでの評判をしっかり見てから応募しようと思った。


そこである企業を見つけ、応募することにした。