この前、2018年初の詣をした話
初詣に行ってきた。
今年初の詣。おそらく次は来年の正月。
今年、最初で最後の詣に意味はあるのか。年に数回の詣をしないと「初詣」とか言ってはいけないのではないか。だから年内に何度か詣をしよう。月1回のペースで詣をしよう。
初詣の逆で、年内最後の詣を「詣納め」というのだそうだ。つまり、初詣とは詣納めを兼ねている。
願い事を聞く仏様や神様の立場に立ってみて欲しい。正月にしか来ない人の願いを誰が叶えたいと思うのか。5円とか50円とか投げられて、願い事を叶えろだなんて調子が良すぎるではないか。だいたい、「ご縁」があるように「5円」とか全く面白くない。5円で何が出来るというのだ。
でも、やっぱり、入れてしまうんだよな、50円。
だって、50円とか5円以外と言われたらいくら入れたらいいのか分からないではないか。10円だと駄菓子かよっ!て気がするし、100円だとガチャガチャかよっ!って気がする。500円玉なんか滅多に入ってない。
ならばお札か?しかし、1000円だと多い気がするし、そもそも硬貨のように投げられない。あの賽銭箱から聞こえてくるチャリーンって音が好き。
だから50円がいい。5円だと安すぎるし、100円だと野暮な感じがする。50円がちょうどいい価格だと思う。
今年もチャリーンってしてきた。なんか願いが叶いそうな気がする。いや、違うな。願いを叶えられるように努力できる気がする。100%の他力本願ではダメなのだ。天命を待っていいのは、人事を尽くした者だけなのだ。
「神は自ら助くる者を助く」
今年はこれを胸に前進していこう。