ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

やりたいことして朝を迎えたら、それは本当に幸せなことなのかな?

「やりたいことが多くて、眠るのが惜しいんです」

 

ってある人から言われた言葉がずっと頭にこびりついて離れない。

 

「やらなければならないこと」が多いのではなくて、「やりたいこと」が多いのだだ。

そのせいで眠るのが惜しい。羨ましい。

 

やることが多くて寝られない夜はあるけれど、やりたいことが多くて寝られない夜はない。

 

そもそも、俺にとって「やりたいこと」って何だ?

 

読みたいと思って読んでいない本を読むことか、観ようと思っていた映画か、アニメのいっき観か、動画編集か…

 

この「やりたいこと」を眠らずにやってみるのもありかもしれない。

 

「いやぁ、やることが多すぎてさ、昨日は寝ていないんだ」

 

っていうのと

 

「いやぁ、やりたいことやっていたら、朝になっていてさ」

 

っていうのとでは違う。

 

「いいな、やりたいことを寝食忘れて没頭できるとか、羨ましい」

 

と思われる。

 

しかし、その「やりたいこと」っていうのもイメージが違うよね。

 

「昨日、ゲームをしていたら朝になっていてさ」

 

っていうと、ちょっと幼稚な感じがする。

 

「昨日、読書していたら朝になっていてさ」

 

っていうと、ゲームよりは知的かな。

 

「昨日、動画制作をしていたら朝になっていたらさ」

 

っていうと、クリエイターっぽさを感じる。

 

もしくは「クリエイターな俺ってカッケーっしょ?」ってドヤ顔をキメたいだけか。

 

「昨日、カラオケをしていたら朝になっていてさ」

 

それは、パリピ。

 

「昨日、ボーッとしていたら朝になっていてさ」

 

っていうパターンだったら

 

「おいおい、病んでいるのか? 大丈夫か? 病院行ったら?」

 

って心配されるか。病気認定されるか。

 

それならば、

 

「昨日、人生について考えていたら朝になっていてさ」

 

と言えばいいのか。

 

いや、なんか中二病っぽいイタい奴だと思われて終わりか。

 

午後11時を過ぎたくらいから眠気がやってきて

 

「あぁ、今日もやりたいことができなかった」

 

と後悔しながら寝支度をする。

 

逆に、やりたいことをやっていたら眠くなくなるのかもしれない。

 

だから一度、眠らない日を決めて、好きなことに没頭することにしようとした。

 

しかし、結論から言うとムリだった。

 

やらねばならない、という切迫感がないから眠気はどんどんやってくる。

 

夜の眠気の前での「やりたいこと」は「別にやらなくてもいいこと」になってしまう。

 

そして、夜の眠気は「やらなくてはならない」に変身して「やりたいこと」を食い尽くす。

 

翌朝、食いつくされた「やりたいこと」は無惨な「やれなかったこと」に朽ちていて、心の中にプカプカと浮かんでいる。

 

やりたいことはいつまでもやれずにいる。

 

だけど、それは言い訳だろうか。

 

本当にやりたいことなら、時間とか関係なくやっているはずではないだろうか。

 

ならば、本当に「やりたいこと」ってなんだろうね。

 

それはもしかして、、、、