ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

私が教師を辞めるまで④

「業界未経験の方でも、一流の技術をもったエンジニアに育てます。まずは気軽に応募してください。一次選考は面接という堅苦しいものではなく、社員との座談会をして会社の雰囲気を知ってもらいたいと思います」


優しいところは優しく、厳しいところは厳しい会社だった。ホームページやFacebookには、社員と社長とが楽しそうに交流しており、とても雰囲気が良さそうである。


そこで求人に応募したところ、書類選考は通過したものの、今まで勉強しなかったJavaの課題を出された。それから、Javaを一から勉強し、一次面接がある3日後には課題を完成させなければならなかった。


結論から言うと、課題は完成させられなかった。やはり知識ゼロからの3日間では、基本的な部分は理解できても、課題をこなせるまでにはならない。結局、課題が面接までに間に合わない旨をメールで伝えた。もう、これで落とすならば落としてくれ。だけど、この3日間という短い期間で、俺は頑張ったよ。


とはいえ、まだ、自分の中に希望というか少々の甘えみたいなところがあった。一次面接は社員との座談会。つまり、ここで


Javaを勉強して課題に立ち向かおうとしたんですが、分からないことが多すぎて。みなさんは、Javaをどうやって勉強したんですか。どんな本を読んでいらっしゃいましたか…エトセトラエトセトラ」


とかいう話ができる。その中で「自分は勉強はしっかりするが、分からないところは素直に聞く謙虚さをもっている」という自己アピールをすれば良い。もう、ここまできたら開き直るしかない。


一次面接当日。


受付で面接に来社した旨を伝えると、面接室に案内された。

 

しかし、それは俺が予想していたものとは全く異なる風景だった。


そこにいたのは複数の若い社員が、俺を笑顔でお出迎え!…ではなく、1人の中年男性だけだった。この顔、ホームページやFacebookに載っていた顔だ。この会社の社長である。


他の社員はいないし、そもそも、その面接室に座談会などする程のスペースはなかった。


一体、どういうことなのだ…?

 

促されるまま席につき、履歴書と職務経歴書を渡す。それを軽く目を通すと俺の方に向き直り、社長は口を開いた。


「本来ならば、ここで社員との座談会みたいな感じで、会社や社員の雰囲気を知ってもらいたいところなのですが、あなたの場合は代表者である私が直接面談をさせて頂きます」


キョトンとしているであろう、俺。


「…と、申しますのは、あなたの場合、年齢が31歳ということで、そこが気になっておりまして。


我が社は未経験での場合は20代前半から、遅くとも20代後半くらいまでの人からの応募が多いんです。現に社員の年齢層も20代半ばくらいの人がほとんどですし。


そんな中で31歳、それも未経験でエンジニアを目指す貴方には、代表者の私が直々に話を伺うことにします」


そこか、そこなのか。年齢の壁か。


いや、しかしだ。これはある程度は予想していた。それを跳ね除けられるようにする為に、プログラミングスクールに通っていたのだ。年齢が足かせになることは想定の範囲内だ。


想定の範囲内ではあったが、いざ、こうして初対面の人に言われると、なかなかショックではある。

 

しかし、相手のペースに巻き込まれてはならない。俺は教職を離れてでもエンジニアになろうと、この一年、やってきたのだ。


「では、エンジニアを目指したきっかけと、月並みですが弊社を志望した理由についてお聞かせください」


俺はとにかく自分の気持ちを伝えようと必死に喋った。

 

プログラミングの授業をしようと思ってPythonを学んだところ楽しくてエンジニアを目指そうと思ったこと、プログラミングスクールに通っていたこと、高校の時にHTMLでホームページをつくっていたこと、コンピュータが昔から好きで色んなことを試してみたこと、創作活動していたことがありモノづくりの楽しさを知っていること…エトセトラエトセトラ


背中が汗でじっとりしており、前髪は汗で額にべっとりと張り付いているのが分かった。しかし、動揺したら喋れなくなるし、何より相手のペースに巻き込まれてしまう。

 

落ち着け。落ち着いて、冷静に向き合え。


自分でも何を言ってるのか分からなくなるくらい喋ったところで、社長は口を開いた。


「そうですか。たまに30代の未経験の方が応募してくるんですよ、『ITがこれから成長するから、一生食いっぱぐれない技術を身につけたい』とかいう人がね。聞いてみると、IT業界やエンジニアのことを全く知らず、ただITに関する仕事がしたいという。

 

そんな簡単に身につく仕事ではないし、技術は常に進歩していくから一生勉強し続けなくてはいけない。そこを知らずに来てる方がいたりするので、そういう人はこの段階でお断りしているんです」


なるほど、そういうことか。


しかし、俺はそんな生半可な気持ちでITの世界に飛び込むわけではない。ITの技術については一通り調べたし、ITエンジニアの大変さや勉強の大切さについても調べた。プログラミング言語も色んな種類があることも調べたし、実際に勉強もしている。プログラミングの勉強をすればするほど、その楽しさを知ったし、上手くいかずに苦しんだりもした。もっと技術力を磨きたいという向上心ももつことができた。


そんなことを必死にアピールする、俺。


すると社長は、俺の勉強したことを試すように色んなことを質問してきた。それに俺はしっかり答え、そして調べていた中で分からなかったことを質問してみたりもした。


何度かそんなやり取りをしていくうち、社長はITの技術やエンジニアの話、さらに経営の話まで色んなことを教えてくれるようになった。

 

そして、社長の生い立ちや会社を起こした理由、前職での苦労話、尊敬する起業家の話、社員教育の大変さ、住んでいる場所、バツイチであること…などなど、途中から採用面接というよりも、ただの雑談へと変わった。なんだか途中から、話している相手が求職企業の社長ではなく、何かのきっかけで出会ったおじさんみたいに感じられるようになってきた。


そんな話をしていたら、時間は過ぎ、気づいたら5時間が経過していた。


「いやぁ、話は尽きないね。本当、色々と聞いてくるから、ついつい喋り過ぎちゃったよ…」


始めは不採用にする気満々で俺を見ていたが、この5時間のお喋りで気持ちは変わったはずだ。

 

俺が生半可な気持ちでエンジニアへの転職をしていないことも充分に伝わったはずである。


「ところで、課題は完成しましたか?」


痛い質問だった。俺は正直に話した。3日間で知識ゼロからJavaを始めたこと、基本的なことは理解したが課題で出された範囲までには及ばなかったこと、ここまで学習したことで分かったことや苦戦したところ…エトセトラエトセトラ

 

今度は冷や汗はかかなかった。自分の現状を包み隠さずに話した。むしろ、誰にも話せていなかったJava学習の話を聞いてもらえたから嬉しかったくらいだ。


「そうですか。まぁ、課題を出してもらうことが二次面接に進むための条件となってますので、必ず課題は提出して欲しいんですよね。いつまでに出来そうですか?」


これはつまり、「課題を提出さえしてくれたら採用してくれる」ということか。

 

ここまで話が弾んだのだ。俺を人柄で気に入ってくれたはずだ。ただ、課題を提出することがルールだからそれに則って欲しいということなのだろう。


4日待ってくれたら課題の意味も理解して、提出までこぎつける旨を伝え、了承をもらった。


「他の企業も受けるのでしょうけど、就活、頑張ってください」


「いえ、今、御社しか面接は受けておりませんし、色々と求人を見て御社以外にないと思ってます」


「それは嬉しいですね。それならば3月中に結果をお返事出来るようにしないといけませんね(笑ですね」


「お願いします。4月に不採用の連絡を頂いてしまうと、私、無職になってしまうので…」


「分かりました。でも、何はともあれ、課題は出してくださいねwww」


そしてお互い、和気あいあいとした中で面接は終了した。会社を出る頃には日付が変わっていた。


これ、採用でしょう。


もう、ここまで話が盛り上がったのだから、社長と俺は相性はぴったりだ。


これは、採用、いただいたわ。


なんて運が良いのだ、俺は。


続く!! 

私が教師を辞めるまで③

転職サイトに登録をし、未経験からでもITエンジニアの募集をしているところを探した。思った以上にたくさん出てくる。しかし、それを見ながら、ネットでこんな悪い噂も載っていた。


「IT企業は、終電帰り始発出勤という過酷な労働環境のところが多い。だから離職率も高く、常に人手不足。未経験でも人を大量に採用して、そこからふるいにかけていく」


「結局は人材を使い捨てる。『未経験でもしっかり教育します』みたいなことが書かれているけれど、現実は『仕事しながら覚えろ』のスタンスでまともに教えてくれない」


それだけは避けたいので、しっかりと会社の評判を調べ、ネットで検索して「株式会社〇〇 ブラック」みたいに出てこないところを選んだ。転職会議とかいう、実際に働いていた人の話や、企業を点数化したサイトも入念にチェックした。


そんな中で、気になる企業を1つ見つけた。


「実務経験や学歴は不問です。ITに関する何かしらの知識がある方は優遇します。エンジニア未経験でも短期間で一人前のエンジニアにします。社員同士、みんな仲が良く、常に会話が飛び交っています。社長との距離も近く、定期的に食事に行ったりして意見を聞いてもらったりしています」


会社のHPも社員のことが載っていたり、Facebookには社内のイベントや飲み会の様子などがアップされていたり、とても良さげな雰囲気。


「書類選考が通ったら、1次面談をします。1次面談といっても、会社の雰囲気を知ってもらう程度の、社員と座談会です。その後で役員面接をします。応募から採用まで最短で2週間程度です」


応募から採用の流れにはこんなことが書かれていた。結構、フレンドリーな感じの企業である。ガチガチの形式張った面接ではなく、ゆるい感じの面接というところから、本当に人柄を重視しての採用なのだろう。俺の人柄は分からないが、エンジニアになりたいという思いはある。スクールにも通っていたし、小さい頃からパソコンが好きだし、高校の頃からHTMLで自分のHPをつくったから全くの未経験者ではない。このやる気をしっかりとアピールすれば、採用の見込みはある。そして3月中に決まれば、ニートになる心配もない!


もう、迷っている時間はなかった。転職を支援してくれるスクールには申し訳ないが、俺の人生なので、そんなことも言っていられない。もう、ポートフォリオは、一生完成しない。完成を待っていたら、俺はニートになってしまう。


エントリーした翌日、早速企業からメッセージが届いた。書類選考をして1週間以内に結果をお知らせする、とのことだった。


それから1週間後…


「今回、書類選考の通過致しましたので、一次面談にお越し頂きたいと思います。つきましては、ご来社可能な日時を教えてください…」


やったぜ。通過したぜ。この1週間、首を長くしてずっと待っていたが、通過したとのことで胸をなで下ろした。


そして、3日後の夜が都合がつく旨を伝え、企業から承諾の連絡が届いた。


「では、面接でお会いできることを楽しみにしております。また、今回の選考につきまして、次のプログラミング課題の提出をお願いします」


え、、、課題?


未経験でもOKといったはずなのだが。


それなのに、プログラミングの課題を出してくるのか???


メッセージの後にPDFの添付ファイルがくっついている。


書類選考を通過して喜んでいたのもつかの間、その課題の内容を見て青ざめた。


フィボナッチ数列を出力するプログラムをつくってください。プログラミング言語Javaを、2つ以上の繰り返し構文をつかい、複数のクラスを定義するとともに、クラスは複数のファイルに定義してください」


はい???


言っていることがほとんど分からなかった。


繰り返し構文はPythonでもRubyでも勉強していたから何のことかはなんとなく分かるが、それ以外の言葉がサッパリ分からない。


フィボナッチ数列って何???


複数のクラスを定義って何???


クラスを複数のファイルに定義するって何???


そして、何よりも驚いたのは、使用するプログラミング言語Javaを指定してきたということ。名前は知っていたけれど、今まで一切、勉強したことがない。というよりも、意図的に遠ざけていた。何故ならば、どのプログラミング言語を学ぼうか色々と調べていた時、色んなところで「初学者はJavaに手を出してはならない」と書いてあったからだ。


Javaは最も汎用性の高い言語で、システム開発アプリ開発など、ほとんどの現場ではJavaが使われています。Javaを身につけておけば、エンジニアとして食いっぱぐれることはまずありません。


しかし、だからといってプログラミング初心者がうかつにJavaに手を出すと挫折します。


周りに詳しい人がおらず、独学でJavaを学ぼうとしたら絶望的です。


これからプログラミングを学ぼうとしている人、Javaは止めておきましょう。


仕事で扱わざるを得ない時とか、周りに教えてくれる人がいるとか以外では安易にJavaに手を出すべきではないです。


初めてプログラミングを触る人は、PythonRubyにしましょう。


絶対に、Javaはダメです。


Javaはプログラミングの楽しさを知る前に確実に挫折します!!」


だから、Javaには触れないでおこうと思っていた。そもそも、初学者に最適なPythonRubyでも分からないところが出てきて苦しんでいたくらいだ。それなのに、Javaでプログラムを勉強し、しかも3日後にはJavaでプログラムを組み立てなければならない。課題の意味もほとんど理解できていない状態から、3日間で…


どう考えても無理だ。もう、この応募を辞退しようと思った。辞退して、そんな無茶なことをしてこない優しいところを探そうと。


しかし、しかしである。


俺がこの求人に惹かれた理由の1つが


「エンジニア未経験の人でも、短期間で一人前のエンジニアにします!!」


というものだった。


そして、その後に書かれていた言葉が今回の応募の大きな要因だった。


「弊社は、その人の実力よりも少し高いレベルの仕事を任せます。できることだけをやっているだけでは、いつまでも成長はしないからです」


ここは、社員を本気で成長させようとする会社なのだと。これが「短期間で一人前のエンジニア」にするための近道なのだと。敢えて難しめのことに挑戦するからこそ、成長できる。未知なるものへ挑戦することこそがエンジニアにとっての必須スキル。


つまり、俺は試されているのだ。未知なるものへ挑戦する向上心や探究心をもっているか、と。未経験OKなのにプログラミング課題を出してくる、というのはそういうことだ。


最初から「できない」と諦めるのではなく、できるところまでやってみることにした。


これまでプログラミングをしてきて「難しい」と思ったことはあっても「止めたい」と思ったことはなかった。プログラミングの概念を理解したときの感動、バグを潰せたときの達成感は、初めてプログラミングに触れたときから変わっていない。そもそも、教職を捨てて、エンジニアという自分にとって全くの未開拓の地へ踏み込もうとしているのだから、今さら何を躊躇うことがあるだろうか。


俺は、課題を受け取った翌日、本屋でJavaの入門書を購入して、3日間でプログラムを組めるように勉強をした。


ゼロからのスタート、全く分からない状態からのスタート、やっぱりプログラミング初心者がJavaを勉強するのは…


…と思ったのだけれど、実際はそこまでではなかった。


思っていた程、壁にぶち当たって苦しむようなことはなかった。


全く違う言語を勉強していたから、ゼロから勉強し直すのかと思っていたが、そうではなかった。プログラミング言語は、コードの書き方の違いこそあれ、根本的な部分は同じだったのだ。


これは人が話す言語も同じだ。例えば、朝、誰かと出会ったら、まずは挨拶をする。それは日本人だって、アメリカ人だって、スペイン人だって、インドネシア人だって、同じであるはずだ。その言葉が日本語では「おはようございます」だし、英語なら「グッドモーニング」だし、スペイン語なら「ブエノスディアス」だし、インドネシア語なら「スラマッパギー」だし。言葉が違うだけで、全ての言語に朝の挨拶は存在する。挨拶以外にも、現在のことを話すとき、未来のことを話すとき、過去のことを話すとき…などはどの言語にも存在する。言語はコミュニケーションなのだから。多少の文化の違いはあるけれど、コミュニケーションの方法の根本は人間である限り一緒なはずだ。


プログラミング言語もコンピュータへの命令であるから、どの言語も根本は一緒。変数の宣言があって、条件分岐があって、繰り返しがあって、入出力があって…はどの言語にも共通して存在する。例えば、「ハロー、世界」という文字を表示させるプログラミングはどのプログラミング言語にもあって、それがPythonなら「print(“ハロー、世界”)」で、Rubyなら「puts ”ハロー、世界”」で、Javaなら「System.out.println(“ハロー、世界”)」という違いだ。書き方は違えども、目的は同じ。だから、1つの言語を扱えるようになれば、他の言語は容易に習得することが出来る。「Javaでは『ハロー、世界』って文字を出力するのはどうやってやるのかしらん?」みたいな感じで。


そもそも、プログラミング言語は人間がつくったものなのだから、今までと全く違う記述や考え方を生み出す訳がないではないか、と思う。違うのかな?


まだプログラミングを始めて半年ちょっとの俺だけれど、難しくてつまずきそうになったら


プログラミング言語は人間が楽をするためにつくったもの。そんな人間がつくったものを、人間である自分が理解できないはずはない」


と言い聞かせることにしている。


そんなこんなで、Javaは思っていた程は難しくはなかったが、それでも3日間で課題のプログラムをつくるのは厳しかった。


結局、面談の当日に面談までに提出ができない旨を伝え、期日を延ばしてもらうことにした。


しかし、この3日間で敬遠していたJavaをだいぶ理解することができた。そして、応募した企業の理念が頭をぐるぐると回っていた。


「弊社は、その人の実力よりも少し高いレベルの仕事を任せます。できることだけをやっているだけでは、いつまでも成長はしないからです」


絶対に、ここに就職を決めてやりたいと思った。

 

 

 

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私が教師を辞めるまで②

通うことになったプログラミングスクールは、転職保証付きで、転職できなかった場合は学費を全額返金するというものだった。ただし、毎週20時間以上スクールに自習にくるということ、毎週日曜日の講義に参加すること、与えられた課題は期日までに提出することなどが条件だった。なるほど、厳しい。しかし、絶対に転職させる!という力強さみたいなものを感じた。


HTML、CSSJavaScriptRubyRuby on RailsAWSの扱い方がカリキュラムとして組まれていた。フロントエンドからインフラまで。これにSlackとかgit hubとかも織り交ぜている。なかなか濃ゆい。


俺は仕事が終わったらスクールに通い、日曜日は朝から講義を受け、その中で課題もしっかりこなすなど、一生懸命に努力をした!!


…って、言えたらカッコ良かったのだが、実際にはそうはならなかった。


仕事が片付かずなかなかスクールに通えなかったし、土曜日も仕事でヘトヘトで日曜日を迎えるので講義も耳に入らなかったし、課題をこなす時間もとれなかった。言い訳すれば、仕事が忙しいとか、心身ともにボロボロで、それに取り組める余裕がなかった…エトセトラエトセトラ。


「出来ない言い訳よりも、出来る工夫をするんだ!」


分かってる。分かっている…分かってはいるけど…けど…


そして気づいたら、カリキュラムも終わり、3月を迎えようとしていた。終わっていない課題があるし、ポートフォリオは完成していないし、一緒にスタートした周りの人たちは就職を決めているしで、焦りを感じていた。


そして、職場には今年度限りで辞める話をしていた。引き止められるか、と覚悟をしていたが、何を言われても絶対に残らないと決めていた。


しかし、引き止めはされなかった。悔しそうな寂しそうな顔をされた。


「そうか…しかし、君の人生だ。君がそう決めたのならば止めはしない。もしも、困ったことがあったならばいつでも相談しなさい」


涙が出そうになった。これまで本当に迷惑ばかりをかけ、お世話になったから、ONE PIECEのサンジばりにその場で土下座して「今までクソお世話になりました。このご恩は一生忘れません!」と涙を流しながら叫びたい気持ちになった。


しかし、そんなかっこいいことが出来るわけもなく、「今まで本当にお世話になりました」と囁くように伝え、頭を下げることしかできなかった。その夜は涙に暮れたけど。


そして退職の時期が近づいているにも関わらず、次の職場は決まらない。しかし、辞めると言ったことへの後悔は1ミリもなかった。他の学校で教師をやることも考えていなかった。


高い学費を払ってプログラミングを学んだからではない。自分の気持ちとしっかりと向き合った時、そこに教職への一切の思いは無かった。どこぞの学校で非常勤としてでも雇ってもらうくらいならば、ニートになった方がマシだと思っていた。教職から身を引く覚悟は出来ていた。


そして3月に入り危機感をもった俺は、スクールを通じてではなく、独自に就職活動することにした。


新たな道に挑戦するのだから、転職先は誤らないようにしないといけない。入ったけれどブラック企業で、潰されてしまっては元も子もない。だから、ネットでの評判をしっかり見てから応募しようと思った。


そこである企業を見つけ、応募することにした。


 

私が教師を辞めるまで

プログラミングに出会い、その楽しさに魅了され、エンジニアになりたいと思うようになった。


プログラミングに出会ったのが、5月くらい。授業の内容を考えていた時だから、まだ新学期が始まって間もない頃だ。


しかし、今まで教職以外、考えたことがなかった(作家になりたいとかブロガーになりたいとかいう確実性のない夢はあったものの)から、本当にそれでいいのかは悩んだ。周りに相談はしなかった。相談したところで


「ぇー、教師辞めちゃうの、もったいない。今までやってきたのに、辞めちゃうの? 続けなよ。今のところが合わないなら他の学校で先生やればいいじゃない。そもそも、自分は何で教師になろうと思ったのか、原点に立ち返って…」


と説得されるだけだと思ったからだ。もし、自分が相談される側だったら、たぶん、説得する。


しかし、色々と調べていくと、全くの未経験からエンジニアになろうとするのは厳しいとのことだ。この業界は実務経験が全て。今まで何をやってきて、どんなスキルがあって、何を得意とするのか。学歴や社会人経験などは全く関係ない。まぁ、技術職なんてそんなものか。


そして、立ちはだかるのが年齢の壁。未経験でこれからエンジニアとして就職をするならば20代まで。それよりも上にいくと厳しいとのこと。エンジニアの世界には「35歳定年説」というのも存在するらしい。


理由としては、2つある。1つは、体力と頭が追いつかなくなるから。ITの世界は日進月歩で進歩していき、身につけた技術がすぐに古いものになってしまう。ある程度、歳をとると新しい技術を学ぶ力が衰えていく。また体力と精神力が衰えて動けなくなってしまうから、というのがその理由だ。


もう1つは、IT企業は比較的若い役員が多いから、歳のいった人を採用し辛いということ。別のところで、エンジニアとしてバリバリやっていた即戦力なら採用するところだが、自分たちよりも歳上の人を未経験で採用して育てていくというのに抵抗がある。まぁ、確かに。


そこで考えたのは、プログラミングを学べて就職支援もしてもらえる専門学校のようなところに通う、ということだ。探したら、ちょうどよいところが見つかった。7月から開講し、6ヶ月の講義と転職支援サービスをしてくれるとのこと。7月から6ヶ月だから、3月まで転職の支援をしてくれる。つまり、年度が終わる、ちょうど3月まで。そして対象の年齢は31歳まで。


さっそく話を聞きに行くことにした。エンジニアなんて、今まで関わってきたこともない、自分とは縁のない世界だと思ったから、なんだか違和感があった。今まで教師としてやってきた自分への、背徳感もあった。


面談してくれた人は、俺がネットで調べたことと同じことを話してくれた。


「実務の経験年数が一番で、実務経験が無い人は何ができるのかをアピールするためのポートフォリオ(制作物)がないといけません。また、コネクションもある程度必要で、未経験の人がただ飛び込んで「働かせて下さい」と言っても、門前払いを喰らうのがオチですね。それは『実務未経験、歓迎!』と謳っている企業も例外ではないです。実務未経験だけど学校で勉強していたとか、または、エンジニアといいながら就職したら違うことさせるブラック企業か」


そしてやっぱり、年齢のことも言われた。


「未経験ならば年齢は気にされます。どんなにやる気があっても年齢で落とされるところは多い。だから、私どもでは『誰でもOK』のようなことは絶対にいわず、31歳年齢制限をかけています。とはいえ、31歳も正直、厳しいです。これはもう、ギリギリのラインですね」


なるほど、エンジニアになるにはタイミングが大事なのか。日本はITエンジニアが不足していることも色んなところに書いてあった。優秀なエンジニアは、みんな海外に行ってしまう。エンジニアの給与も日本はダントツで安い。そして年齢や実務経験で切ってしまう。これじゃあ、日本で万年エンジニア不足になるわけだ。徹夜業務や休日出勤が多いのも頷ける。


「ところで、なぜ、今まで教師をしていたのに、エンジニアを目指そうと思ったのですか? 差し支えなければ教えて頂けませんか?」


そこで俺はこれまでの経緯を説明した。授業でプログラミングをやろうと思ってPythonに触れたこと、それが面白すぎてプログラミングを仕事にしたいと思ったこと、教師という仕事に限界を感じてしまったこと…エトセトラエトセトラ


初めて自分の気持ちを誰かに話した。今まで誰にも話せずにいたことを全て話した。絶対に引かれてしまってるだろうと思うくらいに、話して話して話しまくっていた。話すことで、それまで溜め込んでいたモヤモヤを吐き出せたような気がした。


しかし、だ。プログラミングを教えてくれて、転職支援までしてくれるのはいいのだが、その学費がなかなかのもの。半年間で、その値段は正直安くはなかった。値段はここでは書けないけど。


そこで、即決せず、ひとまず持ち帰らせてもらうことにした。一度、冷静に考えてから、また来ると。


そこから自問自答の日々が始まる。プログラミングを仕事にしたい、とは思ったものの、これまでキャリアを捨てて本当にいいのか。教師という職業に未練はないのか。これまでの苦しみは全て報われないまま終わるんだぞ。


しかし、しかしだ。別にそのスクールに入ったからといって必ずエンジニアにならなければならない訳ではない。やっぱり教師を続けたいと思ったら、それでもいいじゃないか。確かにかなりの金は無駄になるけれど、でも、高い勉強代だったと思えば。失った時間は取り戻せないけど、失ったお金は後で稼いでいけばいい。一生、借金を背負うわけでもないのだから、思い切って飛び込んでみよう。


ということで、そこから俺のエンジニアへの道(未知)が始まったのである。

私が教師を辞めたワケ

 今月に入ってからずっと言いたかったのだけれど、今年の3月末をもって、教職から身を引くことにした。

 

 その経緯について今日は書いてみようと思う。

 

 昨年度、教科書や分野に縛られない理科の授業を任された。実験したり、話題になっている科学ニュースの解説をしたりと、好きなようにその時間を使って欲しいということだった。

 

 そこで、これを機会にプログラミングの勉強を始めることにした。そして、学んだことを授業に取り組もうと思った。いや、別に「生徒の為にプログラミングを勉強する!」とかいう立派なものではなくて、何かきっかけがないと新しいことを始めても継続できないと感じたからだ。楽器だって、なんとなく始めるのと、バンドを組んで発表することを前提に始めるのとでは、取り組み方や技術の定着力が全く違うではないか。

 

 授業の為とかこつけて、自分の趣味の幅を広げようとしただけの俺だった。プログラミングが理科なのか?という声もあったけれど、でも、プログラミングは情報科学の一部だし、広く見ればこれも「理科」だ。

 

 それまでプログラミングというものには、全く触れたことがなかった。プログラミング言語ではないけれど、高校の頃にHTMLでHPをつくっていた程度の知識と、タッチタイピングができる程度の技術。あとは、新しいものが好きという好奇心とか、創作をしていたからモノ作りの楽しさくらいか。

 

 プログラミングとは「パソコンでコードを打ちこんで、何かゲームとかアプリとかつくるやつ」程度の知識しかない俺。まずはネットで色々と調べてみることにした。プログラミングには様々な言語がある、っていうことは知っていた。HTMLでHPを作っていた時にJavaScriptという言語が出てきたし、ゲームをつくるのにC言語とかいうのを使っているというのも知っていたし、システムエンジニアの人達はJavaっていう言語に苦しめられて終電帰り始発出勤のブラックっぷりを味あわされているというくらいの知識はあった。

 

 そんな中、色んなことができて、これからも使われて、プログラミングを知識ゼロから始められるようなものは何かと調べ尽くしたところ、Pythonという言語がいいらしい。Pythonは誰でも簡単に使えるし、これを使いこなせるエンジニアは年収が高いらしいし、人工知能の分野で最も使われている言語だそうだ。誰でも簡単に扱えて人工知能も創れる!ということで、Pythonを勉強することにした。早速、書店へ行くとPythonに関する本がたくさんある。いくつかの本を立ち読みし、プログラミングの知識ゼロでも分かる、イラストとか例え話とかが多い本を購入。

 

 初めてのプログラミングは、実行すると文字を表示させるものだった。メモ帳みたいなソフトに「print(“こんにちは”)」って入力をする。それを別のソフトで読み込んで実行させる。するとそこには「こんにちは」の文字が出てくる。これで出力のプログラミングが書けたことになる。何かもっとたくさんの英文を打ちこんで、難しいことをするのかと身構えていたのだが、思っていた以上に簡単だった。

 

 それから変数について学んだ。変数は箱みたいなものだという。例えば、「rio = 2016」と入力すると、この「rio」に2016が入れられる。そして「tokyo = 2020」でtokyoに2020を入れる。その後で「tokyo - rio」で引き算をさせてその値を出力させると、そこには「4」という計算結果が表示される。tokyoには2020、rioには2016が入っているので、「tokyo - rio」は「2020 - 2016」の計算としてコンピュータが処理してくれるようだ。

 

「面白い、プログラミング、面白いぞ!!」

 

 ここでプログラミングに魅力に取り憑かれてしまった。コードを打ちこんで実行させると、思った通りの動きをする。コンピュータは打ちこんだことしか実行しない。そこに矛盾があるとエラーメッセージを吐き出して実行してくれない。そこで「何がいけないのか?」をエラーメッセージやコードを見ながら考え、試行錯誤し、何度も実行をくり返していく。そしてエラーが消えて、目的の動きをしたとき、パズルを解いたような達成感と爽快感を得られた。

 

 久しぶりに時間を忘れて熱中した。面白いゲームにハマった時のような感覚だった。なんでこんな面白いものに今まで自分は触れてこなかったのだろうか。

 

 そして、これを仕事にしたら、絶対に楽しいと思った。

 

「いや、これ、教師なんかやってる場合じゃねぇ」

 

 これは思い切ってITエンジニアへ職業を変えようかと考えるようになった。

 

 プログラミングをするエンジニアになれば、フリーランスという道もある。エンジニアは自分の技術力が武器になる仕事だ。つまり、技術力を身につけたら、どこかの会社に所属しなくても、個人として仕事を請け負うことができる。自分の知識と技術以外に資本となるのは、パソコン1台。パソコン1台さえあれば、どこでだって仕事ができる。もしかしたら、家から出なくても仕事ができる。

 

 それに、教師の仕事にも限界を感じていた。この先、自分が今の仕事を続けていたとしても、将来のキャリアを描けなくなっていた。この仕事が「自分の本当にやりたいこと、生涯の仕事にしたいことなのか」と考えたとき、力強くそれを肯定することができない。

 

「自分のやりたいことは何? 自分の強みって何? 自分がやりたいこと、強みをいかせると思うものは絶対にあるはず。それを見つけて自分の進路を決めていくんだ」

 

 っていうのは、生徒の進路面談でいつも言っていることだが、自分自身が好きなことや得意なことを仕事にしているのだろうか。確かに理科は好きだし、それを授業として生徒達に発信していくことは楽しい。しかし、それだけではないのか。生活指導や進路指導など担任業務をしている時、自分は心から「やりたいことをやっている、自分の強みをいかせている」と思っているのか。そしてこの先、自分が学年主任や責任者のような立場になることはできるのか。この仕事に人生を捧げられるのか。

 

 色々と考えたら、今の自分の仕事が分からなくなった。

 

 子どもたちと関わっているのは楽しい。楽しいけれど、それは教師として、楽しいのか。この仕事を利用して、大人になれない自分が、ただ子ども達と遊んでいるだけなのではないか。自分は人生の先輩として、大人として、教師として、子どもと関わることができているのか。

 

「お前、そんなんじゃ、社会に出たら通用しないぞ」

 

 と、生徒を指導する時にいつも思う。それなら逆に、自分は社会のことをどれだけ知っているというのだ。大学卒業してから、ずっと教師やっていた自分が、学校という場から出たことのない自分が、社会の何を知っているというのか。本当は自分の方がよっぽど「社会に通用しない大人」なのではないか。

 

 考えれば考える程、教師としての自分のモチベーションは失われていくのを感じた。この辺りで、いっそ教職から身を引き、全く違う場に身を置いてみようと思った。

 

 それができるのは、30歳という今の年齢がギリギリ。これが数年経ち、40歳近くなってから、別の仕事をしようとしたって、どこも相手にしてくれないだろう。

 

 だから、やるなら「今」しかない。今を逃したら、もう、変わるチャンスはない。

 

 

 

 

ちなみに、そのきっかけとなった最初の一冊がこちら↓↓↓

独習Python入門――1日でプログラミングに強くなる!

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この前、2018年初の詣をした話

 

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初詣に行ってきた。

 

今年初の詣。おそらく次は来年の正月。

 

今年、最初で最後の詣に意味はあるのか。年に数回の詣をしないと「初詣」とか言ってはいけないのではないか。だから年内に何度か詣をしよう。月1回のペースで詣をしよう。

 

初詣の逆で、年内最後の詣を「詣納め」というのだそうだ。つまり、初詣とは詣納めを兼ねている。

 

願い事を聞く仏様や神様の立場に立ってみて欲しい。正月にしか来ない人の願いを誰が叶えたいと思うのか。5円とか50円とか投げられて、願い事を叶えろだなんて調子が良すぎるではないか。だいたい、「ご縁」があるように「5円」とか全く面白くない。5円で何が出来るというのだ。

 

でも、やっぱり、入れてしまうんだよな、50円。

 

だって、50円とか5円以外と言われたらいくら入れたらいいのか分からないではないか。10円だと駄菓子かよっ!て気がするし、100円だとガチャガチャかよっ!って気がする。500円玉なんか滅多に入ってない。

 

ならばお札か?しかし、1000円だと多い気がするし、そもそも硬貨のように投げられない。あの賽銭箱から聞こえてくるチャリーンって音が好き。

 

 だから50円がいい。5円だと安すぎるし、100円だと野暮な感じがする。50円がちょうどいい価格だと思う。

 

今年もチャリーンってしてきた。なんか願いが叶いそうな気がする。いや、違うな。願いを叶えられるように努力できる気がする。100%の他力本願ではダメなのだ。天命を待っていいのは、人事を尽くした者だけなのだ。

 

「神は自ら助くる者を助く」

 

今年はこれを胸に前進していこう。

 

サンリオキャラが下唇を噛むシリーズ

久しぶりにTwitter廃人になっていたら、面白いものを見つけた。

 

 

下唇を噛む、キキララ。

 

なぜ、下唇を噛んでいるのか分からないが、とってもシュール。

 

サンリオキャラに下唇を噛ませている絵を投稿している人のツイートが面白い。

 

Twitterを貼り付けるテストも兼ねて連投してみる。

 

 

シュールである。