ジーコとケンジの欲望の記録

雨ニモマケテ、風ニモマケテ、慾マミレ、サウイウヒトガ、コノワタシダ

私が教師を辞めたワケ

 今月に入ってからずっと言いたかったのだけれど、今年の3月末をもって、教職から身を引くことにした。

 

 その経緯について今日は書いてみようと思う。

 

 昨年度、教科書や分野に縛られない理科の授業を任された。実験したり、話題になっている科学ニュースの解説をしたりと、好きなようにその時間を使って欲しいということだった。

 

 そこで、これを機会にプログラミングの勉強を始めることにした。そして、学んだことを授業に取り組もうと思った。いや、別に「生徒の為にプログラミングを勉強する!」とかいう立派なものではなくて、何かきっかけがないと新しいことを始めても継続できないと感じたからだ。楽器だって、なんとなく始めるのと、バンドを組んで発表することを前提に始めるのとでは、取り組み方や技術の定着力が全く違うではないか。

 

 授業の為とかこつけて、自分の趣味の幅を広げようとしただけの俺だった。プログラミングが理科なのか?という声もあったけれど、でも、プログラミングは情報科学の一部だし、広く見ればこれも「理科」だ。

 

 それまでプログラミングというものには、全く触れたことがなかった。プログラミング言語ではないけれど、高校の頃にHTMLでHPをつくっていた程度の知識と、タッチタイピングができる程度の技術。あとは、新しいものが好きという好奇心とか、創作をしていたからモノ作りの楽しさくらいか。

 

 プログラミングとは「パソコンでコードを打ちこんで、何かゲームとかアプリとかつくるやつ」程度の知識しかない俺。まずはネットで色々と調べてみることにした。プログラミングには様々な言語がある、っていうことは知っていた。HTMLでHPを作っていた時にJavaScriptという言語が出てきたし、ゲームをつくるのにC言語とかいうのを使っているというのも知っていたし、システムエンジニアの人達はJavaっていう言語に苦しめられて終電帰り始発出勤のブラックっぷりを味あわされているというくらいの知識はあった。

 

 そんな中、色んなことができて、これからも使われて、プログラミングを知識ゼロから始められるようなものは何かと調べ尽くしたところ、Pythonという言語がいいらしい。Pythonは誰でも簡単に使えるし、これを使いこなせるエンジニアは年収が高いらしいし、人工知能の分野で最も使われている言語だそうだ。誰でも簡単に扱えて人工知能も創れる!ということで、Pythonを勉強することにした。早速、書店へ行くとPythonに関する本がたくさんある。いくつかの本を立ち読みし、プログラミングの知識ゼロでも分かる、イラストとか例え話とかが多い本を購入。

 

 初めてのプログラミングは、実行すると文字を表示させるものだった。メモ帳みたいなソフトに「print(“こんにちは”)」って入力をする。それを別のソフトで読み込んで実行させる。するとそこには「こんにちは」の文字が出てくる。これで出力のプログラミングが書けたことになる。何かもっとたくさんの英文を打ちこんで、難しいことをするのかと身構えていたのだが、思っていた以上に簡単だった。

 

 それから変数について学んだ。変数は箱みたいなものだという。例えば、「rio = 2016」と入力すると、この「rio」に2016が入れられる。そして「tokyo = 2020」でtokyoに2020を入れる。その後で「tokyo - rio」で引き算をさせてその値を出力させると、そこには「4」という計算結果が表示される。tokyoには2020、rioには2016が入っているので、「tokyo - rio」は「2020 - 2016」の計算としてコンピュータが処理してくれるようだ。

 

「面白い、プログラミング、面白いぞ!!」

 

 ここでプログラミングに魅力に取り憑かれてしまった。コードを打ちこんで実行させると、思った通りの動きをする。コンピュータは打ちこんだことしか実行しない。そこに矛盾があるとエラーメッセージを吐き出して実行してくれない。そこで「何がいけないのか?」をエラーメッセージやコードを見ながら考え、試行錯誤し、何度も実行をくり返していく。そしてエラーが消えて、目的の動きをしたとき、パズルを解いたような達成感と爽快感を得られた。

 

 久しぶりに時間を忘れて熱中した。面白いゲームにハマった時のような感覚だった。なんでこんな面白いものに今まで自分は触れてこなかったのだろうか。

 

 そして、これを仕事にしたら、絶対に楽しいと思った。

 

「いや、これ、教師なんかやってる場合じゃねぇ」

 

 これは思い切ってITエンジニアへ職業を変えようかと考えるようになった。

 

 プログラミングをするエンジニアになれば、フリーランスという道もある。エンジニアは自分の技術力が武器になる仕事だ。つまり、技術力を身につけたら、どこかの会社に所属しなくても、個人として仕事を請け負うことができる。自分の知識と技術以外に資本となるのは、パソコン1台。パソコン1台さえあれば、どこでだって仕事ができる。もしかしたら、家から出なくても仕事ができる。

 

 それに、教師の仕事にも限界を感じていた。この先、自分が今の仕事を続けていたとしても、将来のキャリアを描けなくなっていた。この仕事が「自分の本当にやりたいこと、生涯の仕事にしたいことなのか」と考えたとき、力強くそれを肯定することができない。

 

「自分のやりたいことは何? 自分の強みって何? 自分がやりたいこと、強みをいかせると思うものは絶対にあるはず。それを見つけて自分の進路を決めていくんだ」

 

 っていうのは、生徒の進路面談でいつも言っていることだが、自分自身が好きなことや得意なことを仕事にしているのだろうか。確かに理科は好きだし、それを授業として生徒達に発信していくことは楽しい。しかし、それだけではないのか。生活指導や進路指導など担任業務をしている時、自分は心から「やりたいことをやっている、自分の強みをいかせている」と思っているのか。そしてこの先、自分が学年主任や責任者のような立場になることはできるのか。この仕事に人生を捧げられるのか。

 

 色々と考えたら、今の自分の仕事が分からなくなった。

 

 子どもたちと関わっているのは楽しい。楽しいけれど、それは教師として、楽しいのか。この仕事を利用して、大人になれない自分が、ただ子ども達と遊んでいるだけなのではないか。自分は人生の先輩として、大人として、教師として、子どもと関わることができているのか。

 

「お前、そんなんじゃ、社会に出たら通用しないぞ」

 

 と、生徒を指導する時にいつも思う。それなら逆に、自分は社会のことをどれだけ知っているというのだ。大学卒業してから、ずっと教師やっていた自分が、学校という場から出たことのない自分が、社会の何を知っているというのか。本当は自分の方がよっぽど「社会に通用しない大人」なのではないか。

 

 考えれば考える程、教師としての自分のモチベーションは失われていくのを感じた。この辺りで、いっそ教職から身を引き、全く違う場に身を置いてみようと思った。

 

 それができるのは、30歳という今の年齢がギリギリ。これが数年経ち、40歳近くなってから、別の仕事をしようとしたって、どこも相手にしてくれないだろう。

 

 だから、やるなら「今」しかない。今を逃したら、もう、変わるチャンスはない。

 

 

 

 

ちなみに、そのきっかけとなった最初の一冊がこちら↓↓↓

独習Python入門――1日でプログラミングに強くなる!

独習Python入門――1日でプログラミングに強くなる!

 

 

 

この前、2018年初の詣をした話

 

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初詣に行ってきた。

 

今年初の詣。おそらく次は来年の正月。

 

今年、最初で最後の詣に意味はあるのか。年に数回の詣をしないと「初詣」とか言ってはいけないのではないか。だから年内に何度か詣をしよう。月1回のペースで詣をしよう。

 

初詣の逆で、年内最後の詣を「詣納め」というのだそうだ。つまり、初詣とは詣納めを兼ねている。

 

願い事を聞く仏様や神様の立場に立ってみて欲しい。正月にしか来ない人の願いを誰が叶えたいと思うのか。5円とか50円とか投げられて、願い事を叶えろだなんて調子が良すぎるではないか。だいたい、「ご縁」があるように「5円」とか全く面白くない。5円で何が出来るというのだ。

 

でも、やっぱり、入れてしまうんだよな、50円。

 

だって、50円とか5円以外と言われたらいくら入れたらいいのか分からないではないか。10円だと駄菓子かよっ!て気がするし、100円だとガチャガチャかよっ!って気がする。500円玉なんか滅多に入ってない。

 

ならばお札か?しかし、1000円だと多い気がするし、そもそも硬貨のように投げられない。あの賽銭箱から聞こえてくるチャリーンって音が好き。

 

 だから50円がいい。5円だと安すぎるし、100円だと野暮な感じがする。50円がちょうどいい価格だと思う。

 

今年もチャリーンってしてきた。なんか願いが叶いそうな気がする。いや、違うな。願いを叶えられるように努力できる気がする。100%の他力本願ではダメなのだ。天命を待っていいのは、人事を尽くした者だけなのだ。

 

「神は自ら助くる者を助く」

 

今年はこれを胸に前進していこう。

 

サンリオキャラが下唇を噛むシリーズ

久しぶりにTwitter廃人になっていたら、面白いものを見つけた。

 

 

下唇を噛む、キキララ。

 

なぜ、下唇を噛んでいるのか分からないが、とってもシュール。

 

サンリオキャラに下唇を噛ませている絵を投稿している人のツイートが面白い。

 

Twitterを貼り付けるテストも兼ねて連投してみる。

 

 

シュールである。

久しぶりのランニングをして…

2018年だからね。「今年は好きなことを好きなだけやる」という1年にすると決めたんだ。

 

そこで今までやっていなかった「朝ランニング」を、再開してみようと思い、久しぶりにウインドブレーカーをクローゼットやら押し入れやらを探し回った。これに1時間近く費やして、午前中にランニングするつもりが気づくと午後になっていた。久しぶりに出すから、今まで意識をしていなかったとはいえ、どんだけ整理整頓ができていないんだ、俺。

 

ランニングをするときに使用しているNIKEのランニングアプリを起動させ、ランニングすること20分。

 

久しぶりのランニングに加えて、ずっと運動をしてこなかったこと、年末年始にグダグダな生活を送っていたことが重なり、体が重たい重たい。以前なら、10分走ったあたりから体が慣れて少し軽くなってくるのだが、今日については終始、体の重さと対峙していなくてはいけなかった。

 

しかし、途中で歩いてしまうこともせず、なんとか20分走り続けることができた。

 

いえあ。

 

それにしても、走った後の爽快感がパねぇ。たかが20分しか走っていないのに。色んな本やらネットやらの情報を漁ったのだけれど、脂肪燃焼とか体力向上とかの効果が出てくるのは30分以上のランニングだそうだ。

 

30分以上走ることで運動効果が出てるらしいのだが、今回はそれよりも10分少ない20分のランニング。運動効果は無かったのか???

 

っていうことをゴチャゴチャ考えていたけれど、そんなことはどうだっていいではないかという結論に至る。科学的には30分以上のランニングが運動効果があるのかもしれないし、それよりも少ないと意味がないのかもしれない。

 

でも、そんなことは別にどうでもいい。科学的がどうであれ、俺は20分走って「爽快感がパねぇ」って思っているんだから。いいんだよ、それで。科学的にとかじゃなくて、俺的には運動効果があったんだから。

 

ってことで、今日のランニング

 

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20分走ってから、達成感パねぇとか感じながらしばらく外を歩いていた。

 

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アクティビティを見たら、前回のランニングは5月の連休だった。実に8ヶ月ぶりのランニング。

 

でも、ランニングした後は1日気分がいい。頭もスッキリした感じがする。

 

これまで「忙しい」とか「気持ちに余裕がない」とか言い訳にしていたけれど、こういう爽快感が日常にないから気持ち的に余裕がないと感じているのかもしれない。

 

明日もまた、ランニングしよう。もうすぐ休みも終わりだから、それまでに習慣にしてしまおう。

 

2018年、好きなことの1つとして「朝ランニング」をやってやろう。

 

 

金哲彦のランニング・メソッド

金哲彦のランニング・メソッド

 

 

来年は「目標を立てない」っていうことを目標にする!!

目標を立てることは楽しい。

 

目標を立てていると、達成した後のことを考えてワクワクする。

 

理想の自分になった時を想像して、「よし、やるぞ!」とやる気になる。

 

今度こそ頑張ろう、って思う。

 

だけど、結局、その後はだいたいグダグダになる。

 

目標を立てることって、宝くじを購入した後に似ている。

 

宝くじを購入した後は、もう当たった気でいるから、当たったら何を買おうかと考えてワクワクしながら毎日を過ごすようになる。そして、当選結果を見て、紙切れと化したそれをクシャッってして「あぁ、残念だったね」って言う。

 

それから「宝くじ買うお金をもっと別のことに使えばよかったな」と少し後悔してしまう。

 

目標を立てることも同じだと思っていて、目標を立てている時はワクワクするんだけど、いざそれを達成しようと計画しても計画通りに進まない。そして時間はあっという間に過ぎていき、何も達成することはできず「あぁ、残念だったね」って言う。

 

それから「目標立てたのに達成できない自分はダメな奴だな」と自己嫌悪感に襲われる。

 

きっと、他の人は立てた目標をしっかりとこなすことができる勤勉さをもっているのだけれど、俺には難しい。目標を立てて、それを達成するために日々何をしなければいけないのかを考えるのだけれど、計画通りにいった試しがない。

 

だから、そろそろ学習しようと思う。目標は立てない。目標を立てることは時間のムダなだけでなく、自分で自分を追い詰めてしまう種にもなりかねない。

 

よく「今年の抱負は?」的なことを聞かれるけれど、あれも、もう止めよう。もし、聞かれたら「自分の好きなことを好きなだけやる。誰かに迷惑をかけない範囲でね」と適当に答えることにする。

 

あと、今年の振り返りみたいなのも好きじゃ無い。振り返ると、絶対に「やろうと思ったけれど出来なかったこと」がたくさん出てくる。苦しい。このまま、それを「来年こそはやろうと思う」で引きずって、来年の今頃にはまた「やろうと思ったけど出来なかったこと」になっているに違いない。

 

「昨年はどんな1年でしたか?」

「どんな1年にしようか考えているうちに1年が終わっていました。頑張れませんでした」

「それでは、今年の抱負は?」

「好きなことを好きなだけやりたいです。人に迷惑をかけない範囲で」

「目標とかは無いんですか?」

「どうせ立てても達成できなくて自分を苦しめるだけなので、目標なんか立てません。『〇〇するぞ!』じゃなくて『〇〇したい!』を大事に生きていきます」

 

そう言ってやろう。

 

来年は好きなことを好きなだけやろう。

 

好きなことをやるためには何をすればいいのだろうか。

 

何を達成できたら、好きなことができるようになるのだろうか。

 

いや、何を持ってして『好きなことが出来た』と言えるのだろうか。その指標は曖昧では無いか。毎日のスケジュールを立てるか。好きなことをしている自分のスケジュールを立ててそれに沿って生きるように頑張ってみようか…

 

「って、あれ???」

 

いつの間にか目標を立てようとしている自分がいる。

 

目標を立てないようにするって難しい。

 

 

今年、始めたタバコについて…

2017年、俺は喫煙者になった。

 

ストレスがうんぬんかんぬんで、俺は喫煙者になった。

 

でも、やっぱり煙草を吸った後は、口臭や指がヤニ臭くなり、服にも煙草の臭いがついしまい不快になる。歯もヤニで汚れてきているのが分かるほどになっていった。

 

やっぱり、煙草なんか吸うものじゃないと一時期、禁煙者に戻ろうとしたけれど、やっぱり吸わないとやっていけない。気がついたら喫煙者に戻っていた。

 

今の環境を変えたら煙草を吸わなくてすむのだろうか。それまではヤニで自分を汚し続けるのか。

 

と、思ったら、もう一つの方法があった。

 

加熱式タバコである。

 

そこで、クリスマスイヴに、自分へのクリスマスプレゼントとして買ってしまった

 

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gloである。

 

吸っていたタバコがKENTで、それを販売しているブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパンがつくった加熱式タバコということで吸ってみたいと思った。

 

iQOSという選択肢もあったんだろうけど、iQOSはみんな持ってるし。それに、gloを吸っている人を見たとき、純粋にカッコイイって思ったというのもある。

 

コンビニではどこでも売り切れているので、表参道にあるgloショップで購入予約した。ネットで購入日時をしていし、その時間にgloショップへ行くというものだ。

 

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クリスマスイヴの表参道、イルミネーションが綺麗だったけれど、それに負けないくらい人が多いこと多いこと。

 

しかも、ほとんどがカップル。もう、この日はカップルでしか外を歩いちゃいけないのかというくらい、カップルだらけ。

 

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で、実際に吸ってみたけれど、なんか口中にポップコーンっぽい焦げが広がっていく感じ。火をつけて吸う紙巻きタバコとは違うよね。

 

でも、吸った後の感じは紙巻きタバコと同じ感じ。なんだろうね、この感じ。

 

加熱式タバコを吸い始めて1週間経って、たまに紙巻きタバコも吸って比較しているんだけど、吸った後の感じが同じ感じになるのなら、ヤニを吸わない加熱式タバコの方がいいのかなと思った。

 

でも、たぶん、1ヶ月くらいしたら飽きるんだろうな。それとともに脱タバコしているのかもしれない。

 

あ、ちなみに、購入したgloだけど、せっかくだからとgloショップでしか購入できないブラックを選んだ。値段は約5000円。

 

それで今、Amazonで調べたら、ブラックのgloって3万円とかで売っているのを発見した。6倍。すごいな。持って出かける時はくれぐれも盗難に遭わないように気をつけよう。この感じは、たまごっちがレアだった頃に、盗まれないように肌身離さずたまごっちを持ち歩いていたのと同じ感覚だな。たまごっち、懐かしい…

来年こそは、、、で始まる久しぶりのブログ

年末になると、いつも「来年こそは」がやってくる。

来年こそは運動を習慣化するぞ、とか。

来年こそは休日でも早起きするぞ、とか。

来年こそは1ヶ月に10冊以上の本を読むぞ、とか。

 

 「来年こそは、ブログを毎日更新するぞ!」

 

最終更新が今年の8月。そして久しぶりのブログ更新が12月。どうやら夏休みや冬休みなどの長期休みになると「ブログを更新するぞ!」の気持ちが起こるらしい。

 

この前、pha著『人生にゆとりを生み出す 知の整理術』という本を読んだ。そこに書いてあったのは「良いインプットをするにはアウトプットを繰り返すことが大事」ということだった。アウトプットというのは、学んだことをノートにしこしこと書くことだけではなくて、こうしてブログにアップすることも含まれるというのだ。その日、学んだことや考えたことをアウトプットすることで自分の思考が整理されるだそう。

 

その中に「ブログは『他人に見られてもいい自分用の勉強ノート』だと思えばいい」という部分があった。ブログは独りよがりの日記と、書くことにエネルギーを要する書類の中間に位置するのだという。

 

なるほど、自分用の勉強ノートをつけるという意味でブログを利用すればいいのか。

 

ということなので、このブログをそういう目的でこれから使っていこうと思う。

 

…っていう話、前にもした気がするな。

 

 

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術